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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

「府中市№17遺跡(彦四郎塚・鎧塚)」

「府中市№17遺跡(彦四郎塚・鎧塚)」

 「彦四郎塚」は、府中市白糸台1丁目に残存する塚です。『東京都遺跡地図』には府中市の遺跡番号17番の”時代不明の塚(円墳)”として登録されており、塚ではないかとしながらも、古墳である可能性も考えられているようです。

 この塚については猿渡盛厚著『武蔵府中物語』に詳しい記述があり、次のように書かれていました。

彦四郎塚
 開運薬師堂が、元弘3年5月の、分倍河原戦争の時にも、正平7年2月の、人見原合戦の時にも、兵火のために焼亡してしまつたのを、北條氏の一族であつた、上総國(千葉県)市原郡の武士、大久保彦四郎といふものが来府して、永正13年堂宇を建立し、近江國(滋賀県)安土の貞安上人の弟子貞元が、鎌倉光明寺に居たのを請し、住持として再興したものである。その時大久保氏は、荒地六畝二十歩を開墾して、薬師堂の境内地となし、自分もそこに住宅を構へて居たが、京都将軍家から、中國辺に領地を賜はつて立去るときに、その領地内に塚を築いて、所持の武器等を埋めて往った。
 それが彦四郎塚で、現に多磨村役場の南畑中にあるのがそれである。故に開運薬師は、この大久保氏の力によって再興され、後にまた其の屋敷跡に、宮崎泰重が来府して、天正2年に本願寺と八幡宮とを建立されたのである。
 なほその西側に並んで小塚があって鏡塚といつて居り、又今は崩壊してしまつてないが、小学校の玄関前あたりにも、一つあつたそうだが、彦四郎塚とそれらの小塚との関係は判らない。



「府中市№17遺跡(彦四郎塚・鎧塚)」

 また、この塚について江戸時代の地誌類にも記述が見られ、『武蔵名勝図会』には「同村内。字上というところの南裏にあり。高さ八、九尺許。この人の武具を納めし塚なりと云。本願寺の記に出たり。」とあり、また「…中興開基大久保彦四郎。この大久保彦四郎という人は総州の郷土にして、永禄十二年(1569)ゆえありて当国へ来たり、開運薬師の旧地に一字を再建し、江州安土の安貞土人の御弟子良懐和尚の天照山に居けるを招きて開山となして、携え来たりける武具等をことごとく埋めて塚を築きて何方へか去りぬと云。」と書かれています。

 画像は、「彦四郎塚」を東から見たところです。府中第四小学校の西側、第四学童クラブの南側にあたる本願寺の旧境内地は現在駐車場となっており、塚はこの駐車場内にフェンスに囲まれて保存されています。『東京都遺跡地図』にはこの塚の規模について「径1.5m 高1m」と書かれていますが、実際に見学した印象はそれよりもかなり大きいようです。


「府中市№17遺跡(彦四郎塚・鎧塚)」

 彦四郎塚は発掘調査が行われていないため、どういう性格の塚であるか詳細はわかりません。府中崖線上に存在する白糸台古墳群を形成する古墳のほとんどは京王線の南側から検出されており、京王線の北側からは確認されていないことから、この彦四郎塚は古墳ではなく塚ではないかとも考えられているようですが、真相は今後の調査を待たなければなりません。


「府中市№17遺跡(彦四郎塚・鎧塚)」

 画像は、白糸台5丁目にある現在の本願寺です。大久保彦四郎が兵火で焼けていた薬師堂を再建したことから、「彦四郎寺」とも呼ばれていたそうです。境内に立てられている説明板にも彦四郎塚についてふれられています。

 當山の起源は、その昔源頼朝の奥州征伐の折彼地よりもたらされた藤原秀衛の守本尊と伝えられる薬師如来をまつったことに始まる。その後、総州の人大久保彦四良兵火に焼かれたお堂を再建し、永正三年(一五一六)鎌倉光明寺の僧、教誉良懐上人を迎えて中興開山となし一寺の形態を定む。彦四郎塚今なお東部出張所南に現存す…(浄土宗八幡山廣徳院本願寺)

 車返(くるまがえし)は、現在の白糸台二、四、五丁目の一部(旧甲州街道・いききの道沿い)に集落の中心があった村落です。
 幕末の地誌『新編武蔵風土記稿』には「家数総て八十九軒、西を上とし、中央を中といひ、東方を下といふ」とあります。古名を白糸村と称します。
 地名の起こりは、本願寺の縁起によると、源頼朝が奥州藤原氏との戦いの折、秀衡の持仏であった薬師如来を畠山重忠に命じて鎌倉へ移送中に当地で野営したところ、夢告によってこの地に草庵を結んで仏像を安置し、車はもとへ返したことに由来するといわれます。旧境内跡地(市立第4小学校西側)には、彦四郎塚・首塚と呼ばれる古墳が現存し、往古をしのばせています。(車返 由来碑より)



「府中市№17遺跡(彦四郎塚・鎧塚)」

 画像が現在の開運薬師堂です。かつては「彦四郎寺」とも呼ばれたこの薬師堂は、本願寺の境内に祀られています。

<参考文献>
猿渡盛厚『武蔵府中物語 第21編』
府中市教育委員会『府中市内旧名調査報告書 道・坂・塚・川・堰・橋の名前』
現地説明版


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  1. 2016/07/17(日) 04:37:43|
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