
画像は、府中市南町に存在したとされる「しょうかい塚」の跡地を南西から見たところです。
この塚について、府中市教育委員会より発行された『府中市内旧名調査報告書 道・坂・塚・川・堰・橋の名前』には、「新編武蔵風土記稿の中河原村のところに、小名は残るがすでに塚は多摩川洪水の時に流されてない、とある。字名は正戒塚とも性皆塚とも字をあてる。場所は確かなことは分らず、ここも一つの推定地である。」とのみ書かれており、江戸時代には塚は既に消滅していたようです。
画像は、同書の付図に記されている塚の推定地ですが、周囲の開発が進み、宅地化されているにもかかわらず、この三角地だけが畑地として残されており、墓地として利用されている部分が小高くなっています。洪水によって崩れてしまった塚の僅かに残った高まりを墓地として利用した、ということも十分に考えられるところですが、残念ながら詳細はわかりませんでした。。。
<参考文献>
府中市教育委員会『府中市内旧名調査報告書 道・坂・塚・川・堰・橋の名前』
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- 2016/07/23(土) 13:43:50|
- 府中市/その他の古墳・塚
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