
画像は、西多摩郡瑞穂町箱根ケ崎に所在したとされる「宗安塚」の跡地を南東から見たところです。
この宗安塚については、瑞穂町教育委員会により発行された『瑞穂の地名』に記述があり、「青梅街道を西に進み、八高線の踏切りを越して約一〇〇m程進むと青梅街道と秩父街道との分岐点に達する。この角が小高い森になって、その中に明暦、寛文の歿年を記す後年建立した石塔がある。孫右衛門の子で、新宿を開いたという村山市郎右衛門宗安の墓といわれている。」と書かれています。
画像の、信号のあるT字路となっている交差点が同書に書かれている青梅街道と秩父街道(現在の岩蔵街道)との分岐点で、信号の右手前あたりが宗安塚が所在したとされる「小高い森」にあたる場所ですが、残念ながら小高い森はすでに消滅しており、塚や石塔も見ることはできません。

地元の人にお聞きしたところでは、画像の舗装された三角地のような場所の奥の電柱のあたりに石塔が建てられていたようですが、すでに塚の痕跡はなく、石塔は個人の邸宅内に移されているそうです。
<参考文献>
瑞穂町教育委員会『瑞穂の地名』
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- 2016/08/28(日) 01:05:59|
- 武蔵村山市•瑞穂町の塚
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