
今回紹介するのは「鯨塚」です。恐らくは古墳とはまったく関係のない近世の塚である鯨塚ですが、その由来がなかなか面白い塚なので、取り上げてみたいと思います。
画像は、品川区東品川1丁目の利田神社を南東から見たところです。この神社の敷地内に鯨塚が祀られています。

鯨塚は、神社の境内ではなく、社殿西側の敷地内に祀られています。マウンドは存在せず、「鯨碑」という石碑が立てられています。この鯨碑について、品川区教育委員会により現地に立てられた説明板には次のように書かれていました。
鯨碑
所在 東品川一丁目七番十七号 利田神社
指定 平成十八年十一月二十八日
この鯨碑(鯨塚)は、寛政十年(一九七八)五月一日、前日からの暴風雨で品川沖に迷い込んだところを品川浦の漁師達によって捕らえられた鯨の供養碑である。鯨の体長は九間一尺(約十六・五メートル)高さ六尺八寸(約二メートル)の大鯨で、江戸中の評判となった。ついには十一代将軍家斉が浜御殿(現、浜離宮恩賜庭園)で上覧するという騒ぎになった。
全国に多くの鯨の墓(塚・塔・碑など)が散在するが、東京に現存する唯一の鯨碑(鯨塚)である。また、本碑にかかわる調査から品川浦のように捕鯨を行っていない地域での鯨捕獲の法を定めていることや、鯨見物に対する江戸庶民の喧騒ぶりを窺い知ることができる貴重な歴史資料である。
平成十九年三月一日
品川区教育委員会

石碑は2種類存在しており、画像は北側に設置されている鯨碑です。劣化が激しく、刻まれた文字を読むことは出来ないのですが、「寛政十年」の文字が見えます。最初の石碑は寛政10年(1798)に造立されましたが、この石碑は明治39年(1906)に再築されたものであるようです。この碑の横には「鯨碑乃由来」の碑があり、「此ノ鯨碑ハ寛政拾年(西暦一七九八年)五月壱日折柄ノ暴風雨ニモマレ乍ラ大鯨ガ品川ノ沖ニ這入リ込ミ是を見ツケタ漁師達ハ船ヲ出シテ天王洲ニ追イ込ミ遂ニ捕エタ 此ノ事ガ忽チ江戸ニ広ガリ見物客デ大賑イニ成リ五月三十日ニ芝ノ浜御殿(今ノ浜離宮公園)ノ沖ニ船デ引張ツテ行キ第十一代将軍家斉公ニ御覧ニ入レタ 此ノ鯨ノ背通リ長サ九間一尺 高サ六尺八寸有ッタト言ウ 鯨碑ニハ左ノ句ガ刻ンデアル 江戸に鳴る 冥加やたかし なつ鯨 当時の俳人 谷 素外」と刻まれています。

画像は北側に設置されている新しい鯨碑です。
この鯨は江戸中の評判となり、洒落本に取り上げられたり、うちわや手拭いに鯨の絵が描かれたりとかなりの流行となったようです。当時はテレビやネットが存在しない時代ですから多くの人は鯨を見たことがなかったのでしょうし、さぞかし大騒ぎになったことと思います。現代では、多摩川や鶴見川周辺でアザラシのタマちゃんが大きな注目を集めたことがありましたが、東京湾内に16メートルもの鯨が現れたら現代でもビックリですね。

当時は、普段捕鯨が行われていない地域で鯨が捕らえられた際には、役人の検分を受けたのちに入札により払い下げることになっており、この鯨は宇田川町の左兵衛という人が金41両3分余で落札したのだそうです。こうして鯨は胴体の部分が売られて、頭の部分が地元の漁師たちにより手厚く葬られ、この時に築かれたのがこの「鯨塚」ということになるようです。

鯨塚の西側に隣接する「品川浦公園」には鯨のモニュメントが存在します。塚には鯨の頭部の骨が埋葬されたそうですが、公園にもちゃんと頭部のモニュメントが建てられていました。
<参考文献>
品川区教育委員会『しながわの史跡めぐり』
現地説明版
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- 2016/09/05(月) 02:28:50|
- 品川区/その他の塚
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