FC2ブログ

古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

「流民叢塚碑」―品川区指定史跡―

「流民叢塚碑」

 画像は、品川区北品川2丁目の「法禅寺」を東から見たところです。南北朝時代の末、至徳元年(1384)に開創されたと伝えられるこの法禅寺にはかつて「流民叢塚」と呼ばれる塚が存在しており、塚の上に立てられていたといわれる「流民叢塚碑」が今も残されています。


「流民叢塚碑」

 画像の正面三体の六地蔵が流民叢塚碑です。この碑について、品川区教育委員会により設置された説明板には次のように書かれていました。

品川区指定史跡
 流民叢塚碑

    所在 北品川二丁目二番十四号 法禅寺
    指定 昭和六十一年三月十四日(第二十一号)

 この碑は、天保の大飢饉でなくなった人たち
を祀る供養塔である。
 天保四年(一八三三)に始まった天候不順は、
その後数年におよび、多数の餓死者を出した。
品川宿には農村などから流浪してくるものが多
く、この付近で病や飢餓でたおれる人が八百九
十一人を数えるに至った。これらの死者は、法
禅寺と海蔵寺に葬られた。本寺には五百余人が
埋葬されたという。
 初めは円墳状の塚で、この塚の上に、明治四
年(一八七一)に造立の流民叢塚碑が立てられて
いた。昭和九年(一九三四)に境内が整備された
折、同じ場所にコンクリート製の納骨堂が建て
られ、上にこの碑が置かれた。
 碑の正面には、当時の惨状が刻まれており、
天保の飢餓の悲惨さを伝えるとともに、名もな
い庶民の存在を伝えている。

 平成六年十月三十日
             品川区教育委員会


 享保,天明と合わせて江戸時代の三大飢饉と称される天保の大飢饉は、天保4年の東北地方の凶作により始まり、天保7年(1836)の長雨がこれに拍車をかけ、米価は平時の10倍にはねあがり、米屋には米粒の姿がなくなってしまったといわれています。夏の土用に入っても人々が着物を重ね着し、老人はあんかを抱いて寝るほどだったそうですので、かなりの冷夏だったようです。

 説明板によると、かつてはこの納骨堂の場所に円墳上の塚が築かれており、流民叢塚碑が塚上に建てられていたようですが、残念ながら塚は削平されており、痕跡は残されていません。立地から考えると、この塚もやはり古墳である可能性は考え難いようです。。。


「御殿山下台場(砲台)跡」

 法禅寺東方の品川区立台場小学校の敷地内には、「御殿山下砲台跡」として第2台場に設置された灯台のレプリカが設置されています。

 御殿山下台場(砲台)跡
 嘉永6年(1853)、アメリカ合衆国のペリーが4隻の軍艦(黒船)を率い、日本に開国を求め
るため浦賀(神奈川県)に来航しました。鎖国をしていた当時の日本は大騒動になり、徳川幕府
は江戸の町を守るため、急いで品川沖から深川洲崎にかけて11の台場を造ることにしたのです。
 伊豆韮山(静岡県)の代官・江川太郎左衛門英龍がオランダの書物をもとに砲台造りの指導
にあたり、第一から第三台場と第五・第六台場は完成させましたが、残りの第四・第七は中途で
工事を中止し、第八以下は着工にも至らなかったのです。その代りとして、陸続きで五角形の
砲台を造ることになりました。これが御殿山下台場(砲台)です。明治になると埋立てられ姿
を消しましたが、幸いなことに台場の輪郭は道として残り、今でもその位置と形を知ることがで
きます。跡地に建つ台場小学校の敷地はこの台場の半分程の面積を占めています。
 台場跡からは石垣が発見され、小学校にはその石垣を使った記念碑が建てられました。石垣の
上に立つ灯台は、明治3年(1870)日本で3番目の洋式灯台として第二台場に造られた品川灯
台を模したものです。
 品川灯台は、現在は国の重要文化財として愛知県犬山市の博物館明治村に移設されています。
                                   平成18年3月31日
                                   品川区教育委員会

<参考文献>
平野栄次『品川区史跡散歩』
品川区教育委員会『しながわの史跡めぐり』
現地説明版


人気ブログランキングへ

  1. 2016/09/09(金) 01:27:13|
  2. 品川区/その他の塚
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<「品川富士」―品川区指定有形民俗文化財― | ホーム | 「海蔵寺無縁塔群・首塚・頭痛塚」―品川区指定史跡―>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://gogohiderin.blog.fc2.com/tb.php/613-db2463c4
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

カテゴリ

足立区/伊興古墳群 (4)
足立区/その他の古墳・塚 (9)
葛飾区/立石古墳群 (3)
葛飾区/その他の古墳・塚 (10)
江戸川区の古墳・塚 (0)
板橋区/志村古墳群 (10)
板橋区/その他の古墳・塚 (36)
北区/赤羽台古墳群 (2)
北区/十条台古墳群 (2)
北区/飛鳥山古墳群 (8)
北区/田端西台通古墳群 (1)
北区/その他の古墳・塚 (14)
荒川区/尾久 微高地 (4)
荒川区/町屋-三河島 微高地 (19)
荒川区/南千住 微高地 (3)
荒川区/日暮里 台地上 (2)
台東区/上野台古墳群 (5)
台東区/その他の古墳・塚 (7)
墨田区の古墳・塚 (4)
練馬区の古墳・塚 (16)
豊島区の古墳・塚 (3)
文京区の古墳・塚 (8)
杉並区の古墳・塚 (18)
中野区の古墳・塚 (17)
新宿区の古墳・塚 (19)
千代田区の古墳・塚 (7)
目黒区の古墳・塚 (9)
渋谷区の古墳・塚 (19)
港区の古墳・塚 (8)
品川区/品川大井古墳群 (7)
品川区/その他の塚 (15)
大田区/田園調布古墳群 (34)
大田区/鵜の木・久が原古墳群 (8)
大田区/その他の古墳・塚 (52)
世田谷区/野毛古墳群 (24)
世田谷区/殿山古墳群 (9)
世田谷区/大蔵古墳群 (0)
世田谷区/砧中学校古墳群 (2)
世田谷区/喜多見古墳群 (13)
世田谷区/砧古墳群その他 (8)
世田谷区/その他の古墳・塚 (18)
武蔵野市の古墳・塚 (3)
三鷹市の古墳・塚 (7)
狛江市/狛江古墳群(和泉) (34)
狛江市/狛江古墳群(岩戸) (13)
狛江市/狛江古墳群(猪方) (29)
狛江市/その他の古墳・塚 (1)
調布市/国領南古墳群 (2)
調布市/下布田古墳群 (16)
調布市/上布田古墳群 (7)
調布市/下石原古墳群 (2)
調布市/飛田給古墳群 (17)
調布市/その他の古墳・塚 (13)
府中市/武蔵府中熊野神社古墳 (2)
府中市/白糸台古墳群 (14)
府中市/高倉古墳群 (32)
府中市/御嶽塚古墳群 (19)
府中市/その他の古墳・塚 (15)
国立市/下谷保古墳群 (12)
国立市/青柳古墳群 (3)
国立市/その他の古墳・塚 (9)
立川市の古墳・塚 (14)
稲城市の古墳・塚 (12)
多摩市/和田古墳群 (15)
多摩市/その他の古墳・塚 (8)
日野市/平山古墳群 (7)
日野市/西平山古墳群 (5)
日野市/七ッ塚古墳群 (9)
日野市/万蔵院台古墳群 (4)
日野市/その他の古墳・塚 (12)
町田市/能ケ谷香山古墳群 (0)
町田市/その他の古墳・塚 (21)
八王子市の古墳・塚 (33)
昭島市の古墳・塚 (12)
あきる野市/森山古墳群 (3)
あきる野市/草花古墳群 (14)
あきる野市/御堂上古墳群 (4)
あきる野市/瀬戸岡古墳群 (7)
あきる野市/牛沼古墳群 (3)
あきる野市/その他の古墳・塚 (16)
日の出町の古墳・塚 (2)
青梅市の古墳・塚 (16)
西東京市•東久留米市の塚 (5)
小金井市•国分寺市の塚 (4)
東村山市•東大和市の塚 (9)
武蔵村山市•瑞穂町の塚 (17)
川崎市の古墳・塚 (47)
横浜市の古墳・塚 (0)
相模原市の古墳・塚 (7)
栃木県の古墳 (13)
那須町•大田原市•那珂川町 (8)
壬生町•上三川町 (5)
長野県の古墳 (6)
群馬県の古墳 (8)
茨城県の古墳 (5)
埼玉県の古墳 (2)
千葉県の古墳 (1)
未分類 (9)

最新記事

最新コメント

検索フォーム

リンク

このブログをリンクに追加する

QRコード

QR