
画像は、品川区北品川3丁目にある「品川神社」を東から見たところです。品川神社は平安時代末期の文治3年(1185)、源頼朝が安房国州崎明神を勧請して創建されたと伝えられています。天正18年(1590)8月1日には、徳川家康からあわせて5石の社領の朱印地を受けています。
この品川神社の境内には、「品川富士」と呼ばれる富士塚が所在しています。

画像が、品川富士を東から見たところです。富士塚は境内の南東隅にあり、第一京浜国道に面した崖の上に築かれています。品川神社は芳葉岡と呼ばれる台地の突端に築造されており、東を走る京浜急行の車内から見ると、ボク石で覆われた円墳型の富士塚がひときわ目立つ存在です。立地的に、古墳を流用して造られた可能性もあるのではないかとも考えましたが、大正11年(1922)の第一京浜国道の敷設工事の際、境内の東側が削られたときに塚も西に約60メートル程移動されているそうなので、古墳流用の可能性は有り得ないようです。

富士塚へは、品川神社の石段の途中から左側に入るように造られています。敷地内には、品川区教育委員会により説明板が設置されており、次のように書かれていました。
品川区指定有形民俗文化財
品川神社富士塚
所在 品川区北品川三丁目七番十五号 品川神社内
指定 昭和五十三年十一月二十二日(民俗第一号)
富士塚は、富士信仰の集団、富士講の人々が、富士
山の遥拝場所として、あるいは実際に富士山への登山
ができない講員のために造った築山である。
品川神社の富士塚は、明治二年(一八六九)、北品川
宿の丸嘉講社の講中三百人によって造られた。神仏分離
政策で一時破壊されたが明治五年に再築し、大正十一年
(一九二二)第一京浜国道建設の時現在地に移築された。
江戸後期に盛んだった民間信仰を知る上で、たいせつ
な文化財である。
品川区指定無形民俗文化財
品川神社富士塚山開き
実施団体 品川丸嘉講社
指定 昭和六十一年三月十四日(風俗慣習第一号)
毎年七月一日に近い日曜日に、講員一同が白装束で
浅間神社前で「拝み」を行う。
その後、はだしで富士塚に登り、山頂の遥拝所や小
御岳の祠でも「拝み」をして下山し、社殿にもどって
から平服に着替える。
かつては盛んだった行事であるが、現在も行ってい
る富士塚はたいへん少ない。
平成二十三年三月三十一日
品川区教育委員会 
登山道の途中、五合目あたりで見上げてみた富士塚のようすです。すごい迫力ですね。

山頂は平坦になっていますが特に何もないようです。以前は赤土が露出していたようですが、現在はコンクリートで固められています。塚の北側には浅間神社が祀られています。

山頂からの眺め。こうしてみるとかなりの高さがあるのがわかります。

品川神社の境内のようすです。神社というのはもう存在自体が芸術作品のようですね。

鳥居をくぐって右手には「庖丁塚」の石碑が立てられています。品川宿では魚や動物を調理することが多く、その動物たちを供養するために建てられた塚であるといわれています。ここは塚らしきマウンドは存在せず、石碑のみが建てられているようです。
<参考文献>
(財)日本常民文化研究所『富士講と富士塚 ―東京・神奈川―』
平野栄次『品川区史跡散歩』
品川区教育委員会『しながわの史跡めぐり』
現地説明版
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- 2016/09/11(日) 00:43:03|
- 品川区/その他の塚
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