
前回は品川区大井1丁目に所在したとされる「納経塚」と、塚の伝承を紹介しました。この塚から掘り出されたといわれる二体の仏像のうちの一体は、品川区大井1丁目の三ツ又商店街と池上通りが交差する場所に今も祀られています。画像はこの「三ツ又地蔵」を南西から見たところです。
納経塚の跡地とされる「大井庚申堂」から徒歩30秒ほどの場所にあり、現在の地蔵像は戦後に再建されたものであるそうですが、病魔、難産などの「身代わり地蔵」として現在も地元の人の信仰を集めているそうです。

余談ですが、大井三ツ又地蔵は村松友視の直木賞受賞作品である「時代屋の女房」の舞台となった場所で、昭和58年(1983)に映画化されています。主演が渡瀬恒彦さんと夏目雅子さんで、三ツ又地蔵のある大井三ツ又差点角の「時代屋」という古道具屋が舞台となっており、この時代屋は実際に存在していたそうなのですが、現在は壊されて駐車場となっているようです。私の青春時代に公開された映画で、伝説の夏目雅子さんがとても印象的です。今となってはこの三ツ又地蔵のみが当時の記憶をとどめているのかもしれません。

さて、この三ツ又地蔵の周辺には「大塚」と呼ばれる塚が存在したといわれています。昭和29年(1954)に発行された芳根彌三郎著『荏原中延史 前編』の38ページにはこの大塚について、「大井の大塚は(三ツ又の附近)後年明治中期の頃、或る寺領のものとなり後、この土地の土塊を賣り拂つた折、この大塚も発掘されたその時見物に行つたものであるが、その塚の眞中頃に大きな井戸の様な洞穴があつたが、今に疑問に思つて居るが察するに狐狸の巣ではなかつたかと思う。明治初年頃は、狐や狸がこの大塚に数知れぬ程巣食つていて、この近郷に跳梁したものであるが、その本據が皆この大塚であつた事は、一般の知る処であつた。」と書かれています。塚が取り崩された際の「塚の中央あたりに洞穴が存在した」という記述はいかにも古墳の石室を連想してしまいますし、東大井4丁目周辺に展開する「大井古墳群』からかなり近い距離にあることもあり、この大塚が古墳であった可能性も考えられるのではないかと思われますが、明治中期に消滅したこの塚の学術的な記録はなく詳細は不明で、正確な所在地も突き止めることは出来ませんでした。
ちなみに、狐窪と呼ばれていた付近にも「大塚」という字名があり、大きな塚があったといわれていますが詳細はわからず、左近山にも五間(9m)四方の塚があったようですが、いずれも正確な所在地はわからなくなっているようです。。。
<参考文献>
芳根彌三郎『荏原中延史 前編』
品川区教育委員会『品川の地名』
品川区教育委員会『しながわの史跡めぐり』
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- 2016/09/23(金) 01:54:33|
- 品川区/その他の塚
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