
環状八号線沿いに立てられている「都史跡 等々力渓谷三号横穴」の石碑のところから、等々力渓谷の斜面を降りていくと、左側に「等々力渓谷3号横穴」が公開されています。この横穴墓は、世田谷区等々力1丁目に所在する横穴墓で、『東京都遺跡地図』には「等々力渓谷横穴墓群」として世田谷区の遺跡番号130番に登録されており、「等々力渓谷3号横穴」が昭和50年2月6日に東京都の史跡に指定されています。

画像が、「等々力渓谷3号横穴」を西から見たところです。この横穴古墳の周辺には支谷を挟んだ舌状台地上に「野毛大塚古墳」、「御岳山古墳」、「狐塚古墳」、「八幡塚古墳」といった首長墓が続いており、野毛古墳群と呼称されています。また、さらに東側には「田園調布古墳群」が続いています。これらの首長墓が造られた後、古墳時代終末期にあたる7~8世紀にかけて造られたのがこの横穴墓です。
この横穴群を最初に記録に残しているのは西岡秀雄氏で、1933年以前にこの3号横穴の南側にある2基の横穴を発見していました。しかし、詳しい記録はないまま不明になっていたそうです。その後、1960年の整地工事の際に2基の横穴が発見され、発掘調査されました。1号横穴は玄室に隔石があり、2体の人骨と刀子、耳環を出土。2号横穴は石棺と羨門があり、2体の人骨と横瓶、平瓶、鉢、小刀などが出土したそうです。
そしてその後、1974年にこの3号横穴が発見された後に調査されました。墓の内部は奥行き13mあり玄室(げんしつ)と羨道(せんどう)で構成されていて、切石でふさがれた玄室の床には川原石が敷かれて、3体の人骨と1対の耳環(イヤリング)と時が副葬されていたそうです。

3号横穴内部のようすです。以前は、いつもガラスが汚れているうえに長い間照明設備が壊れていて内部がよく見えなかったのですが、昨年ついに改修されて内部を観察することが出来るようになりました。ガラス窓で覆われていた前面は中央部分に隙間が空けられていているので、湿気でガラスに水滴がつくこともなく、隙間からキレイに撮影できました。

1号墓と2号墓は一部が盛土の下に残されており、標識が立てられています。
この横穴墓はいつでも見学することができますが、真夏の見学はヤブ蚊の大群に襲われますので、決して立ち止まってはいけません。やっぱり古墳の見学は秋から冬がお薦めですね。笑。
<参考文献>
世田谷区史編さん室『世田谷区史料 第8集 考古編』
東京都教育委員会『1985 都心部の遺跡』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
- 2015/04/24(金) 01:29:48|
- 世田谷区/野毛古墳群
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