
立川市柴崎町4丁目には現在、「立川市№13遺跡」と「立川市№16遺跡」の2基の古墳が『東京都遺跡地図』に登録されています。№16遺跡はすでに墳丘は消滅しており、昭和30年の樹木の移植の際に古墳の埋葬施設が偶然発見されたという伝承と、平成18年の発掘調査により周溝の可能性が考えられるという溝の一部が検出されたという記録が唯一の古墳の記録となっています。墳丘が残存する古墳は、沢稲荷の社殿が鎮座する№13遺跡の1基のみであるようですが、周辺には古墳ではなかったかと考えられている塚の伝承が残されているようです。
昭和43年に発行された『立川市史研究 第九冊』に掲載されている「立川市内に於ける消滅古墳について」の中で、八巻義昌氏は柴崎町4丁目に存在したとする「通称こうじや附近の塚」について「この塚の番地は現在明らかでないが、普済寺の北側とも東側ともいわれていて、これもはっきりしないが、小川氏は柴崎町4丁目162番地あたりといっている」と記しています。
多摩川中流域左岸の古墳群の分布は府中崖線状の台地縁辺部に集中しており、調布市下布田・上布田古墳群から飛田給古墳群、府中市白糸台古墳群から高倉古墳群、御嶽塚古墳群、国立市下谷保古墳群から青柳古墳群と続いています。立川市内のこの段丘上に古墳が存在した可能性も十分にあるのではないかと思います(勿論素人考えですが)。これまでに紹介した立川市内の塚の多くは台地縁辺部からは距離があり、古墳ではなかったのではないかと思われるのですが、この通称こうじや附近の塚は台地縁辺部に近く、また古墳であるとされる№13遺跡と№16遺跡ともかなりの近距離にあることから、古墳であった可能性も考えられると思われますが、削平の際の遺物の出土の伝承等もなく、学術的な調査も行われていないため、詳細はわかりません。
画像の道路の右側あたりが旧番地の162番地となりますが、路上から確認したところでは古墳らしき痕跡は残されていないようです。。。
<参考文献>
八巻義昌「立川市内に於ける消滅古墳について」『立川市史研究 第九冊』
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- 2016/10/05(水) 01:17:24|
- 立川市の古墳・塚
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