
現在の立川市錦町5丁目には、古墳ではなかったかと考えられる「狐塚」と呼ばれる塚が存在したといわれています。『東京都遺跡地図』には未登録の古墳ですが、立川市史編纂委員会より昭和43年(1968)に発行された『立川市史研究』には、地元の古老の口伝として次のように紹介されています。
(三) 狐塚、この塚は、つむじ塚の稍々南に位置し、極めて近接しており、地番は錦町5丁目12番に存在したらしい。
小川氏の話によると、相当大規模であったらしく、想像をたくましくすれば、恐らく富士塚位あったであろうとの推定がつく。また円墳らしく思考できる性質のものであったらしい。現在は如何なる理由によるものか、空き地になっており、雑草の茂るにまかせているのはどうしたわけであろうか。
尚、小川氏の父はこの塚の存在した当時、野良帰りに時々狐の子供が遊んでいるのを見かけたと、昔話しによく語ってくれたといっている。しかしながらすでに消滅してしまっているので、考古学的に証明する事は困難であるが、古墳が存在してもよい立地条件の箇所であることは、筆者も水野教授も意見の一致を見ている。(『立川市史研究 第九冊』58~59ページ) 「狐塚」という名称からして、狐穴の存在と開口した埋葬施設の存在を連想してしまいますが、西方には『東京都遺跡地図』に登録されている「立川市№13遺跡」と「立川市№16遺跡」の2基の古墳があり、№13遺跡は墳丘が残存しています。この2基の古墳と同じ台地上の縁辺部という立地的な環境から考えてもこの塚は古墳ではなかったかとも考えられますが、残念ながら学術的な調査が行われることなく消滅しており、詳細はわかりません。画像の道路の左側あたりが塚の跡地とされている地点です。

画像は右側が立川公園で、左側の立川崖線上(府中崖線)に「狐塚」と「つむじ塚」の2基の塚が並ぶように存在していたと思われます。塚の跡地周辺地域は宅地化が進んでおり、痕跡は何も残されていないようです。。。
<参考文献>
八巻義昌「立川市内に於ける消滅古墳について」『立川市史研究 第九冊』
立川市『立川市史 上巻』
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- 2016/10/07(金) 02:02:24|
- 立川市の古墳・塚
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