
「渋谷区№2遺跡」は、渋谷区代々木4丁目に所在したとされる古墳です。『東京都遺跡地図』には渋谷区の遺跡番号2番の古墳(円墳)として登録されています。
この古墳については、昭和41年(1966)に発行された『新修 渋谷区史 上巻』に掲載されている「古墳所在地名表」に記述が見られ、存在の不確実な古墳であるとしながらも、旧立花邸内に存在した円墳として取り上げられています。この時点では古墳は湮滅したと考えられていたようですが、その後、昭和57年(1982)に東京都心部遺跡分布調査が行われ、昭和60年(1985)に発行された『都心部の遺跡』には「湮滅と推定されていたが、墳丘の存在していることを今回の調査で確認する。」と、この時点ではまだ古墳らしき墳丘が残されていたことが書かれています。
画像は、この古墳の所在地とされる現在の「渋谷区立参宮橋公園」を南から見たところです。整地が行われた公園内には既に古墳らしきマウンドは存在しないように見えますが、すでに破壊されてしまったのでしょうか。

墳丘の存在が確認されたとされる昭和57年のこの場所には都営住宅が建てられており、このようすは空中写真で確認することが出来ます。インターネットで公開されている国土地理院の『地図・空中写真閲覧サービス』で確認すると、2棟並ぶ建物の南側に円形の古墳らしき影が認められるのですが、この場所を現代の地図と重ね合わせると、画像の公園の休憩所の場所にあたるようです。元々存在した塚状の地形を利用して作られたようにも見えますが、この場所が古墳跡なのでしょうか。
平成4年(1992)の空中写真では都営住宅とともに古墳は残されているように見えるのですが、平成13年(2001)の写真では建物が取り壊されて更地になっています。少なくとも平成に入るまで残されていたと思われる古墳が調査もされず消滅してしまったとは考え難いところなのですが、発掘調査報告書等の刊行物をみつけることは出来ませんでした。調査が行われても報告書が刊行されていない古墳も多く存在しますのでこのあたりも何ともいえないところですが、直径8メートルの円墳とされたこの№2遺跡は消滅してしまったのでしょうか。休憩所の地中から石室が検出されたらビックリ仰天なのですが。。。

埴輪片でも落ちていないか見渡してみましたが、特に何も見つかりません。。。

最初に訪れた時にこの場所かなと思ったのが、公園の東隅にある一本松の場所ですが、やはり古墳を保存するための措置とは考え難いかもしれません。空中写真で確認したところでは、団地の敷地の東角の植込み風に見える場所ですが、現在は松の根元が円形に区切られています。

一本松の遠景。
<参考文献>
東京都渋谷区『新修 渋谷区史 上巻』
東京都教育委員会『都心部の遺跡』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
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- 2016/10/20(木) 09:38:06|
- 渋谷区の古墳・塚
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