
画像は、渋谷区広尾4丁目にある聖心女子大学内に所在する「聖心女子大学構内古墳」を北東から見たところです。『東京都遺跡地図』には渋谷区の遺跡番号95番として登録されている古墳です。
この古墳はについて、昭和41年(1966)に発行された『新修 渋谷区史 上巻』に掲載されている「古墳所在地名表」には記載がなく、昭和57年(1982)に行われた東京都心部遺跡分布調査の古地図の調査により把握されています。昭和60年(1985)に発行された『都心部の遺跡』には「5千分の1東京図に墳丘が認められる。今回の調査で確認」と書かれています。
この大学の敷地と北側に隣接する日本赤十字医療センターや看護大学、広尾ガーデンヒルズとを含めた一帯は、江戸時代には下総佐倉藩堀田家の下屋敷であったといわれていますので、古墳は庭園の築山として流用されたことにより壊されずに残されたものでしょう。大正6年(1917)にはこの敷地内に久邇宮家の本邸が建設されており、戦後間もなくの昭和22年(1947)に聖心女子大学がこの地を末に購入して翌年に開校しているそうですが、おそらくは下屋敷時代の築山という認識のまま大学構内に残され、昭和57年の東京都心部遺跡分布調査団によりその存在が確認された、ということのようです。
構内で学生さんに古墳について尋ねても皆きょとんとしており、土で盛られた築山があるはずだと訪ねると、「ああ、築山ですね」という感じで、「築山」と呼ばれているのがとても印象的でした。古墳の周囲に説明板等は存在しないようですし、在校生の多くはこの築山が古墳であるという認識を持っていないのかもしれません。

画像は、西から見た古墳です。学術的な調査は行われていないため、出土品や埋葬施設、周溝や埴輪の有無などの詳細は不明です。実際に見学してみたところでは、小型の前方後円墳だったのではないかとも感じましたが、『東京都遺跡地図』では径15~17mの円墳であるとしています。ひょっとしたら後世の塚である可能性もあるのかもしれませんが、このあたりの真相は今後の調査の進展を待ちたいところですね。

古墳の南東側の裾部は削られており、石垣により土留めされているようです。。。
<参考文献>
東京都教育委員会『都心部の遺跡』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
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- 2016/11/16(水) 00:15:02|
- 渋谷区の古墳・塚
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