
「富士見二丁目1号墳」は、平成17年(2005)に行われた「富士見二丁目遺跡」の発掘調査により周溝が検出された古墳です。千代田区は、武蔵野台地東縁部の「山の手台地」と呼ばれる段丘面と「下町低地」と呼ばれる低地に二分されており、この「山の手台地」のうち千代田区内では淀橋台と本郷台の2つの段丘面が存在しています。富士見二丁目1号墳が発見された富士見二丁目遺跡は淀橋台の縁辺部に所在する遺跡で、神田川の谷に面した低い段丘面に位置しています。江戸時代には牛込門御内と呼ばれた地域の武家地で、稲垣氏と米倉氏の拝領屋敷であったようです。千代田区内では、これまでの台地縁辺部からの埴輪片の出土により古墳の存在が想定されていましたが、初の古墳の発見となったようで す。
古墳の規模は周溝約30mほどの比較的大型の円墳で、ブリッジや埋葬施設は確認されなかったものの、ブリッジ付の円墳で竪穴系の埋葬施設を有する古墳と考えられており、出土した遺物により5世紀前半に築造されたと推定されているようです。同じ遺跡内からは弥生時代後期の方形周溝墓が2基、検出されています。
画像は、古墳が検出された千代田区富士見2丁目の「富士見二丁目遺跡」周辺のようすです。JR中央本線飯田橋駅のちょうど裏側にあたるこの「富士見二丁目遺跡」はすでに発掘調査は終了しており、かなり大きなビルが立ち並ぶなど開発が進められています。画像中央の大きなビルの真下が古墳の跡地であると思われますが、残念ながら痕跡は全く残されていないようです。

お隣の日本歯科大学の敷地内にはこんな石碑が立てられていました。「下乗(かじょう)」と読むこの石碑の建立の動機については不明とされていますが、江戸時代のこの場所は富永権左エ門という旗本の屋敷地で、この時代のものとして残されていたものであるようです。
それにしても、ほんの10年ほど前までは雑居ビルが立ち並ぶもう少しごちゃごちゃした場所だったような記憶があるのですが、どんどん変化していく東京の街の景観にはいつもながら驚かされます。。。

千代田区立日比谷図書文化館には富士見二丁目遺跡の古墳より出土した土器が常設展示されています。(館内は撮影禁止とされていますが、文化財事務室にて許可を得て撮影させていただきました)
<参考文献>
株式会社武蔵文化財研究所『富士見二丁目遺跡』
現地説明版
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- 2016/11/23(水) 01:16:35|
- 千代田区の古墳・塚
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