
「江古田・沼袋原の合戦」とは、室町時代後期の文明9年(1477年)4月に豊島泰経と太田道灌との間で行われた戦いです。この合戦が行われたと云われる現在の中野区江古田・沼袋地域には、戦いによる戦死者を葬ったといわれる「豊島塚」の言い伝えが多く残されています。
「蛇塚」は、中野区丸山1丁目に所在したとされる、豊島塚ではないかとされている1基です。須藤亮作著『物語・豊島氏』によると、現在の新青梅街道から北に数十メートルほどの地点の竹林の中に、高さ約1.5mほどの塚が残されていたようです。その後、土地の所有者がさらに盛り土して築山を造り、頂上へ登る路を造って頂部に天女の石像を安置していたといわれています。その後、すぐ西側の環状7号線の敷設工事の際に塚は崩されて消滅したといわれています。
画像は、蛇塚の所在地とされる丸山1丁目21番地周辺を南西から見たところです。中央に見える中野北郵便局のさらに奥の辺りが塚の跡地であると思われますが、残念ながら塚はすでに消滅しており、塚上に安置されていたという天女の石像も見つけることは出来ませんでした。。。
<参考文献>
須藤亮作『物語・豊島氏』
矢島英雄『実相院と沼袋、野方、豊玉の歴史』
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- 2016/12/27(火) 01:55:28|
- 中野区の古墳・塚
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