「堤方権現台古墳」

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「堤方権現台古墳」

 画像は、大田区池上1丁目にある「堤方権現台古墳」を西から見たところです。『東京都遺跡地図』には大田区の遺跡番号112番の古墳として登録されています。

 この「堤方権現台古墳」は、呑川の左岸南東に張り出す標高約25m前後の舌状台地上にある「不変山永寿院」の敷地内に所在します。古墳は北東に位置する「万両塚」の修復調査と、周辺で確認されていた弥生時代の集落の広がりの確認を目的として行われた調査の際、周溝が検出されたことによりその存在が確認されており、そこで須恵器や埴輪片が発見されたことから2005年から2009年にかけて発掘調査が行われています。調査の結果、円筒埴輪のほか古墳の中心部からは馬具、鉄製直刀、鉄鏃を取り付けた矢が数十本出土しています。特に馬を装飾する馬具に関してはかなり良好な状態で発掘されているようですが、面白いのは、この棺から発見された馬具には欠損部を修復した跡が残されており、これは副 葬品の儀仗的な意味は保ちつつも被葬者が実際に使用した品が埋葬されていると推定されています。これはとても興味深い事例であると思います。

 江戸時代の地誌である『新編武蔵風土記稿』には、「堤方村」の「熊野社」の項にこの古墳の存在を思わせる記述を見ることが出来ます。


熊野社 除地六畝二十歩、村の北方本門寺境内に続きてあり、此地の鎮守なり、社九尺四面、南向前に鳥居を建つ柱間一間、毎年正月二十八日をもて祭礼をなせり、
村民の持この社の後に小高くして塚の如くなるものあり、権現台と云、何れの頃か塚上の古松大風に吹おられし故、その根をほりしに古刀古器を得たり、されど異日祟りあらんことを畏れて、元の所へ埋めたりと村老の伝へなり、


 同書には、熊野社の位置は堤方村の北方の本門寺の境内に続く場所であり、この社の後ろに古墳が存在していたと書かれていますが、熊野社は明治維新後の神仏分離により正確な跡地はわからなくなっていました。この古墳の存在が確認されたことにより、熊野社は墳丘上かその周辺に存在したのではないかと推定されており、「堤方権現台古墳」は『新編武蔵風土記稿』に記載されている”小高い塚”とほぼ同一のものであると考えられているようです。ちなみにこの古墳の南方、本門寺境内からは「長栄古墳」も発見されていることからかつて古墳群が形成されていた可能性も考えられ、今後周辺から新たな古墳が発見される可能性もあるかもしれません。。。


「堤方権現台古墳」

 古墳は調査の結果、直径約40mの円墳であるとされていますが、周囲が宅地であることから復元された墳丘は約10m程に縮小されています。古墳の周囲に造られた個人墓は、古墳の形状に添うように弧を描いており、この円形の外側が古墳の周溝ということになるようです。古墳の周囲には復元された円筒埴輪が置かれており、説明板が設置されています。

 発掘調査以前の古墳の位置には昭和7年建築の古民家が建てられており、墳丘は削平されていました。『新編武蔵風土記稿』の記述からすると江戸時代にはまだ墳丘は残存していたようですが、この古墳を所有する「不変山 永寿院」の住職さんのお話では、古民家が建てられる以前までは少なくとも痕跡が確認出来る程度には残存していたのではないかということです。ちなみに古墳の位置に建てられていた古民家は「天国に一番近い島」等で知られる小説家の故森村桂さんの邸宅であったそうです!!!


「堤方権現台古墳」

 同じ敷地内には弥生時代の住居跡のレプリカが復元されています。このレプリカは発掘された住居跡を型取り、土の住居跡は砂で埋め戻した上で樹脂モルタルで形成したレプリカを遺跡の元の位置に設置する、「原位置再生」という手法で復元されています。


「堤方権現台古墳」

 「万両塚」横の周溝から検出された埴輪片も再現されています。


「堤方権現台古墳」

 画像が「万両塚」です。この塚に埋葬されている「芳心院殿妙英日春大姉」とは、徳川家康と側室お万の方の孫にあたる人で、宝塔内からは、法華経巻子本八巻や火葬骨の収められた青銅製の骨蔵器が発見されているそうです。このお墓を築くために江戸時代に1万両はかかっただろうと言い伝えられていることから「万両塚」と呼ばれているのだそうですが、300年前にこれだけのお墓を造ったとは、さすがは徳川家康!偉大さを感じてしまいますね。
弥生時代の遺跡の上に古墳が築造され、また江戸時代の万両塚が建ち、更には現代のお墓も造られているわけですから、長い歴史の重みを感じます。。。


「堤方権現台古墳」

 本堂には、弥生時代から江戸時代のまでの、発掘調査により出土した遺物がずらりと展示されています。もちろん「堤方権現台古墳」の副葬品である須恵器や埴輪のほか、馬具、鉄製直刀、鉄鏃を取り付けた矢など、多くの出土品が保存、公開されています。特筆すべきは、これまで行われた調査や遺物に関する現地説明会や地元の小学校の見学会も行われているそうです。


「堤方権現台古墳」

 画像は、「堤方権現台古墳」から出土した馬具です(レプリカではなくホンモノです)。東京都内でこれだけ良好な状態で残されている馬具を見ることはなかなかありませんので、貴重な体験です。


「堤方権現台古墳」

 古墳の周囲から出土した円筒埴輪です。中には形象埴輪ではないかと考えられる破片もあるようです。


「堤方権現台古墳」

 当日は、お寺の住職さんに許可をいただいて見学させていただきました。詳しく説明までしていただき、楽しい時間でした。ありがとうございました。

<参考文献>
東京都大田区史編さん委員会『大田区史(資料編)地誌類抄録』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
日蓮宗 不変山 永寿院『武蔵 堤方権現台遺跡』
現地説明版


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