
これまでに、江古田、沼袋を中心に中野区内に所在したといわれる、「江古田・沼袋原の合戦」の戦死者を葬ったとされる7ヶ所の「豊島塚」を紹介してきましたが、この周辺地域である杉並区や練馬区内にもこの合戦の戦死者を葬ったとされる塚が存在したようです。
杉並区高円寺南2丁目周辺には「六つ塚」と呼ばれる数基の塚群が存在したといわれています。この塚群は開発によりすべて消滅しており、『東京都遺跡地図』にも未登録の言い伝えのみに残る塚ですが、高円寺図書館の敷地内に杉並区教育委員会による説明板を見ることができます。
六 つ 塚 跡
図書館前の路を北に六〇メートルほど行った辺り(名取眼
科医院付近)に、かつて六基の塚があり、地元の人々はそれ
を「六つ塚」と呼んでいました。
塚はいずれも土まんじゅうのような円墳型をしており、四
基は小塚でしたが二基は高さ四メートル、直径が六メートル
ほどの大塚で、頂には木が生え、裾には小さな窪みがあった
と伝えられています。
雑木林の中にあったこの塚は、その頃はまだ当図書館の場
所にあった杉並第三小学校の児童たちの恰好の遊び場で、腕
白どもは学校の行き帰りや休み時間に、よく塚に登って遊ん
だということです。
また、当図書館の一帯が昭和の初め頃まで「むつづか」の
通称で呼ばれていたのも、この塚に由来していたのです。
しかし大正末年頃、塚は区画整理事業による桃園川流域低
湿地埋めたてのため、崩されてしまいました。その際、塚か
らボロボロになった刀などが出土したといわれ、こうした出
土品などから、塚は太田道灌と豊島氏との戦の死者を葬った
墓ではないか、との説もありますが、真偽のほどは不明です。
なお、六つ塚に近く、長く当図書館の地にあった杉並第三
小学校(前身は高円寺小学校)は、明治二十六年に開校した古
い歴史を持ち、昭和三十三年に現在の高円寺南一丁目へ移転
した学校です。
平成四年三月
杉並区教育委員会
六つ塚の跡地周辺のようすです。画像は跡地周辺を北東から見たところで、坂道を上がった右側が説明板の立つ高円寺図書館です。現地はなだらかな坂道となっているようですが、塚はこの斜面に存在したのか、それとも宅地造成が行われる以前の台地の縁辺部にしたのか、塚の正確な所在地がわからないので何ともいえないところです。6基存在したという塚の痕跡は全く残されていないようです。
江古田・沼袋原の合戦の戦死者を埋葬した塚ではないかという伝承について、『杉並の通称地名』では33ページで「いわゆる古墳ではなく、中世の死者を埋めたもののようである。」としながらも、81ページでは「古墳らしい塚が六基あった」と、塚が古墳であった可能性を感じさせる記述も見られます。果たしてこの地に古墳が存在したのか否か、塚が消滅して出土した遺物等もすでに存在しない今となっては真相を知ることは出来ないようです。。。
<参考文献>
杉並区教育委員会『杉並の通称地名』
現地説明版
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- 2017/01/21(土) 00:15:03|
- 杉並区の古墳・塚
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