
画像は、世田谷区尾山台2丁目に所在する「狐塚古墳」を南西から見たところです。『東京都遺跡地図』には、世田谷区の遺跡番号138番として登録されている古墳です。
狐塚古墳は、多摩川下流域左岸の武蔵野台地上に分布する「野毛古墳群」を構成する古墳の中の1基です。この周辺の地形は多摩川に向かって突き出る舌状台地と小支谷が交互に連続しており、この舌状台地上に首長墓とされる大形の古墳が5〜6世紀にかけて点々と造られています。
この周辺の古墳について江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』を調べてみると、舌状台地上に並ぶ「八幡塚古墳」、「御岳山古墳」、「野毛大塚古墳」といった首長墓については記述が見られるのに対して、この狐塚古墳は記載が見られないようですが(見落としていなければ)このあたりは興味深いところです。
その後、1930年代には当時大田区立郷土博物館の館長を努める西岡秀雄氏により行われた荏原台古墳群の分布調査により把握されています。当時の記録によるとこの狐塚古墳は「西岡12号墳」の名称で次のように紹介されています。
第十二號古墳(俗稱)狐塚
(所在位置)舊地名 東京都荏原郡玉川村大字尾山
新地名 東京市世田谷區玉川尾山町
(型式)圓型墳
(採集者氏名及び出土品等)
西岡 秀雄・・・・土器破片 昭和七年
(現況其の他)封土の一部が田園都市會社の土地開墾の爲切り取られ前記土器破片を出したが、中心内部は未發掘である。現在墳上を見晴臺となし上部の一本松の下にはベンチの設けさへあり、又小さな稲荷祠がある。高さ約六米。
(『考古学雑誌 第26巻 第5号』312ページ)

画像は狐塚古墳を北東から見たところです。この場所はこれまで「世田谷区立尾山台クラブ広場」として公開されていましたが、平成27年3月31日より「世田谷区立狐塚古墳緑地」として施行されており、敷地内は新たに整備されています。敷地の北西側とこの北東側に造られていた墳丘に登る階段かなり急で狭かったのですが、かなり登りやすく造り直されたようです。入口にも新しく「世田谷区立狐塚古墳緑地」のプレートが設置されています。
墳丘は、東側と西側は切り通しの道路となっており、南側と北側は宅地により削られています。つまりは、この周辺で元の高さが残されているのはこの古墳の地点のみ!ということになると思われますが、ちょっとビックリしてしまいますね。

画像は墳頂部を北東から見たところです。周囲は全て削平されているため周溝は確認されていませんが、幅8m、深さ2m前後の周溝が存在したと考えられており、規模は径約30m、高さ約4.6mの円墳であったと推定されています。ただし、野毛地域の首長墓は、野毛大塚古墳を始めとして天慶塚古墳、八幡塚古墳、御岳山古墳と、連続して帆立貝形もしくは造出付円墳という墳形が採用されていることから、この狐塚古墳も同様の墳形である可能性が考えられていますが、方形部の存在を確認することは、区画整理による削平のため不可能であるようです。

「狐塚古墳」の名称はかつて稲荷祠が祀られていたことから名付けられたといわれており、墳丘上には祠の痕跡が残されています。この稲荷祠台座の下部付近には、地中レーザー探査により幅約3.5mの掘り込みがとらえられていて、粘土槨の主体部が手つかずのまま保存されている可能性が高いそうです。

画像は、整備前の古墳の墳端部のようすです。『野毛古墳まつり』の「古墳群散策」に参加した際の画像で、学芸員の先生が古墳について解説しているとことです。唯一南東側に残されている、円形の墳端部の形状を見ることが出来ます。
周囲は全て削平されているため周溝は確認されていませんが、幅8m、深さ2m前後の周溝が存在したと考えられており、規模は径約30m、高さ約4.6mの円墳であったと推定されています。ただし、野毛地域の首長墓は、野毛大塚古墳を始めとして天慶塚古墳、八幡塚古墳、御岳山古墳と、連続して帆立貝形もしくは造出付円墳という墳形が採用されていることから、この狐塚古墳も同様の墳形である可能性が考えられていますが、方形部の存在を確認することは、区画整理による削平のため不可能であるようです。

こちらは、現在の南東側の墳端部を同じ角度から見たところです。整備されたことにより、ちょっとわかり難くなってしまったかもしれませんね。
この古墳に葺石は存在しないようですが、墳頂部表土から埴輪片が出土していて、築造は5世紀末から6世紀初頭と推定されています。

敷地内には、狐塚古墳についての説明板が設置されています。

この古墳の上に祀られていた稲荷祠は、現在は八幡塚古墳の墳丘上に移設されています。
<参考文献>
西岡秀雄「荏原台地に於ける先史及び原始時代の遺跡遺物」『考古学雑誌 第26巻 第5号』
東京都教育委員会『都心部の遺跡』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
世田谷区教育委員会『2006年度 世田谷区埋蔵文化財調査年報』
世田谷区教育委員会『2012年度 世田谷区埋蔵文化財調査年報』
現地説明版
- 2015/04/25(土) 04:21:52|
- 世田谷区/野毛古墳群
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| コメント:4
こんにちわ。
狐塚古墳整備されたのですね。知りませんでした。等々力渓谷横穴墓群も以前、訪れたときには整備中でした。
世田谷、大田区と一大古墳群だったようですが、このような形で数少なくなった古墳が後世に残されていくといいですね。
- 2015/04/25(土) 08:57:15 |
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- kame-naoki #-
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こんばんは。
以前古墳まつりで見学しましたが、その時よりだいぶ整備されていてびっくりです。
野毛古墳群は個人的に思い出があるので、いろいろ整備されていて嬉しいです。
- 2015/04/25(土) 23:31:18 |
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- 紅一点 #-
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kame-naokiさま
コメントありがとうございます。
狐塚はピカピカになっていましたし、等々力渓谷横穴墓群も内部が見学しやすくなっていました。こうしてしっかり整備されて残されていくのは嬉しいことですよね。
- 2015/04/26(日) 00:05:18 |
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- ご〜ご〜ひでりん #hzwp2T5Q
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紅一点さま
コメントありがとうございます。
世田谷区は特に充実していますよね。やっぱり予算がある区なのかなあと思ってしまいます。笑。
- 2015/04/26(日) 00:10:14 |
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- ご〜ご〜ひでりん #hzwp2T5Q
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先週は、世田谷区の玉川野毛町公園で行われた『野毛古墳まつり』に参加しました。野毛大塚古墳について
- 2012/10/27(土) 15:33:00 |
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