
画像は、国道20号(別名甲州街道)と東京都道123号境調布線(通称天文台通り)が交差する、調布市上石原1丁目の上石原交差点の北西角に所在する「道正塚」の石碑です。
実はこの石碑は、自転車でぶらぶらと移動中に偶然見つけました。甲州街道という幹線道路の歩道に1基の「墓」が立っていて花が生けてあるという光景は異様でびっくりしたのですが、よく見てみると、石碑には「道正塚」と刻まれています。古道が交わる辻のところに存在する塚はこれまで数多く見てきましたし、ひょっとしたら古墳が存在した可能性もあるかも知れないと考え、そのまま調布市の中央図書館に直行して調べてみました。しかし、この道正塚について記載されている文献は全く見つかりません。後日ネットで調べてようやく、『東京珍景録』という書籍に道正塚についての記事が書かれていることを知ることが出来ました。
同書によると、この塚は分倍河原の合戦による戦死者を埋葬した塚であるという伝承が残されているようです。本来の塚はこの場所より北側に存在しており、昭和の初め頃にそこを買い取った人が塚を壊して家を建てたところ、3人の不幸が立て続けに起ったことから塚を壊した祟りではないかと考え、元の場所に塚を再興したそうです。その後、この土地は別の人の手に渡り、さらに現在の運送会社の手に渡った際に、塚を現在の場所に移して手厚く供養した、というのが現在の道正塚の碑であるようです。
塚が削平されたのは昭和の初め頃であり、学術的な調査が行われた形跡はないようなので塚の性格についての詳細は不明で、出土した遺物等の伝承も残されていないようです。
この道正塚は古墳とは関係はないようなのですが、味の素スタジアムにほど近い東京の主要道路に、墓石のような碑がポツリと残された光景があまりにも衝撃的だったことから、今回取り上げてみました。

道正塚の碑のある上石原交差点の北方、現在の調布飛行場の敷地には、かつて「山王様」という神社と「道生塚」という塚が一緒に祀られていたといわれています。この道生塚は当時かなり知られた存在であったとみられ、周辺の地名の由来ともなっていたようですが、昭和18年の調布飛行場整備に伴う立ち退きにより移転しており、現在は調布市飛田給2丁目の「道生神社(みちおいじんじゃ)」として合祀されています。
画像は「道生神社」を東から見たところです。現在の道生神社には、塚に関係するような痕跡は見当らないようです。上石原交差点に碑が残る「道正塚」と山王様と一緒に祀られていたという「道生塚」は何か関係があるのか、それとも全く無関係の別々の塚であるのか、残念ながらその詳細はわかりませんでした。。。
<参考文献>
林望『東京珍景録』
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- 2017/04/13(木) 23:56:34|
- 調布市/その他の古墳・塚
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