
調布市内には「十三塚」の伝承が残されているようです。江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』には、上布田宿の項に「十三坊塚 乾ノ方ニアリ」とあり、小島分村の項には「十三坊塚 又十三本塚トモイヘリ街道ノ北裏ニアリ」と書かれています。この上布田宿の乾と小島分の甲州街道の北裏とは同じ場所を指しており、これは現在の調布市調布ヶ丘1丁目の一部から同3丁目の一部にかけてであるようですが、近年の町名改正以前のこの地域が「塚通」という字名であったことから、この地域に「十三坊塚」呼ばれる塚が存在したことが想定されているようです。
十三塚については、柳田国男氏と堀市郎氏による『十三塚考』に秋田県から鹿児島県に及ぶ223ヶ所が取り上げられており、昭和59年(1984)に発刊された『十三塚―実測調査・考察編―』には333ヶ所の十三塚が取り上げられています。十三塚は、13基の塚が一列に並ぶ列塚をなすものが最も多く、東京都内で唯一現存する稲城市平尾と川崎市白鳥との境に所在する十三塚は1m前後の小さな塚が東西方向に一直線に並び、中央の1基が若干高いという典型的な十三塚の形態となっているようですが、北区や荒川区内に存在したという「十三坊塚」は点在しており、塚ではなく古墳群だったのではないかという説もあるようです。
この調布の十三坊塚については、早い時期に消滅しており、また塚にまつわる伝承も残されていないことから、どんな性格の塚であったかはわからなくなっています。。。
<参考文献>
調布市市史編集委員会『調布市史 上巻』
人気ブログランキングへ
- 2017/04/19(水) 08:20:25|
- 調布市/その他の古墳・塚
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0