
調布市の郷土研究家、故石森直吉の手記『たづくりを巡りて』には、この調布市布田周辺の墳丘が削平されて失われた古墳(塚)について書かれています。同書によると、品川道の南側の崖線付近には、狐塚、釈迦塚、飯盛塚、扇台塚、砂利塚といった多くの塚が分布しており、これらは「布田九塚」と呼ばれていたそうです。また、崖下の水田地帯にも、三本松塚・神明塚・不動の森塚といった塚があったといわれています。
この布田九塚と呼ばれる古墳(もしくはこれに類似する塚)は、ほとんどが太平洋戦争中から戦後にかけて削平されており、痕跡を残すのは、発掘調査の結果古墳であることが確認された「狐塚(下布田6号墳)」1基のみです。ほかに「飯盛塚(上布田3号墳)」と「庚塚(上布田4号墳)」の2基が『東京都遺跡地図』に登録されているものの、これ以外の塚は所在地もわからなくなっているようです。ただし、地元の郷土史家である石森直吉氏により書かれた、塚の所在地を記した手書きの地図が残されており、おおよその塚の位置は知ることが出来ます。(実際には円形マークが大塚、三角マークが小塚で、合わせて18基が記されています。)
今回はこの地図を頼りに、布田九塚と呼ばれた塚のうちの国領南古墳群の範囲内に存在したと思われる塚の跡地を探ってみました。

画像は「十万石稲荷(小山稲荷)」を北西から見たところです。
この近くに十万石大名の蔵があった伝承に由来するといわれる神社で、国領町4丁目12番地付近の三角地に祀られています。果たしてこの場所に古墳が存在したのでしょうか。。。

画像は、十万石稲荷の境内のようすです。地図を参考にすると、鳥居のマークより西の道路側に円形の塚のマークが記されていますので、画像の手前のあたりが塚の跡地かと考えられますが、周囲は開発による宅地化が進んでいることから境内が狭くなっている可能性もあり、また社殿の位置が変わっている可能性も考えられますので、正確な塚の位置は何ともいえないところです。境内に特に地面が盛り上がっているような場所も見当らず、痕跡は残されていないようです。
府中崖線からかなり距離のあるこの場所に古墳が存在した可能性は考え難いようにも思いますが、発掘調査は行われていないため詳細は不明です。

西から見た十万石稲荷です。やっぱり三角地なんだ!という感じですね。。。

続いて、国領町5丁目37番地付近に所在する「赤稲荷(衢稲荷)」です。品川道沿いの「国領町5丁目」交差点の北東角にあり、調布市史編纂委員会より発行された『調布市史 民俗編』には「社と地続きの範囲の上ヶ給の地付の家七、八軒で祀る大人のビシャ講は今もあるが、子供のコモリ行事は三〇年ころまでだった。」と書かれています。
ちなみに布田九塚の地図には「血又イナリ」と書かれているのが気になるところですが、どんな意味があるのでしょうか。。。

分布図では塚のマークの円形の中に神社の鳥居が描かれていますので、稲荷の祠は塚上に祀られているものと思われます。画像は赤稲荷を南西から見たところですが、確かに稲荷の敷地は周囲よりも若干高くなっており、塚の跡地であることを感じさせます。

赤稲荷境内のようす。祠の位置がわずかに高く盛り上がっているようですが、この地膨れのほかには、古墳跡であるような痕跡は特に見られないようです。赤稲荷も府中崖線縁辺部からは少し距離があるようですので、この場所が古墳であったかどうかは微妙なところですが、近年の発掘調査により、崖線から離れた位置に存在する下布田16号墳が発見されていますので、この赤稲荷が古墳跡である可能性も考えられるかもしれません。

画像は、調布市国領町6丁目3番地付近を南から見たところです。布田九塚の地図を参考にすると、このY字路の間の三角地周辺に古墳らしき塚が存在したようです。この塚には名称の記載がなく、また周辺に塚らしき痕跡は全く見ることが出来ず、詳細はわかりません。
ちなみに、このY字路を右に進んだ右手の京王バスの調布営業所の敷地が、発掘調査により「国領南2号墳」が検出された場所です。布田九塚の地図にも、この辺りに三角の小塚のマークが記されており、「稲荷山跡」と書かれています。おそらくこの塚は、国領南2号墳と同一のものではなく、稲荷山はもう少し南側にあったのではないかと思われるのですが、この塚についてはあまり深追いはせず、画像はありません。。。
以下、次回の「布田九塚 その2」へ続く…
<参考文献>
調布市市史編集委員会『調布市史 上巻』
調布市史編纂委員会『調布市史 民俗編』
多摩中央信用金庫『多摩のあゆみ 第52号』
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- 2017/04/22(土) 00:15:49|
- 調布市/その他の古墳・塚
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こんばんは、ご〜ご〜ひでりん様
地図で3ヶ所目は行人山というのがその名称かと思ったのですが、またそれは別物なのでしょうか?昭和19年の航空写真だと三角形の小高い土地に見え、その東端は今の駐車場との境の様に見えますね。だとしたら駐車場はわざわざ道路端の部分を削ったものではないとも思えるのですが・・・。
- 2017/04/24(月) 21:20:06 |
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- あんけん #pysVlb7U
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あんけんさま、こんばんは。
稲荷山の場所は、何となくこのへん、くらいにはわかったのですが、行人山は円形の塚のマークの名称なのか、ハケ沿いに存在した地名なのか確信が得られませんでした。
いずれにしろ、かなり多くの塚(古墳かもしれない)が存在したことは間違いないようです。。。
- 2017/05/05(金) 23:25:29 |
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- ご〜ご〜ひでりん #OsZoF7Es
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