
「西岡第22号古墳」は、大田区田園調布5丁目に所在したとされる古墳です。『東京都遺跡地図』には大田区の遺跡番号11番の古墳(円墳)として登録されています。多摩川左岸の台地縁辺部に位置するこの古墳は、高さ4.5mほどの円墳で、道路工事により墳丘の約半分が削平された際、昭和6年~7年にかけて、西岡秀雄、松野正徳両氏により発掘調査が行われています。「荏原台地に於ける先史及び原始時代の遺跡遺物」『考古学雑誌 第26巻 第5号』には次のように紹介されています。
第二十二號古墳
(所在位置)舊地名 東京都荏原郡東調布町大字上沼部
新地名 東京市大森區田園調布四丁目八三東光院所有地
(型式)圓型墳
(採集者氏名及び出土品等)西岡秀雄 松野正徳 小島組土工等・・・・鉄蔟・短刀・直刀・耳環・雲珠・土器片等 昭和六年より同七年にかけて
(現況其の他)封土の約半分は道路開墾工事により切り崩され、石室内部は殆ど採掘されてゐる。高さ約四•五米。(『考古学雑誌 第26巻 第5号』314~315ページ) 田園調布古墳群を形成する多くの古墳はすでに削平されて消滅しており、正確な位置がわからなくなっているものも少なくないようです。この西岡第22号古墳の周辺も、西岡秀雄氏による分布調査が行なわれた後に宅地造成が行われているため地形が変わっており、古墳の正確な位置はわかりません。『都心部の遺跡』や『東京都遺跡地図』の古墳分布図、『大田区古墳ガイドブック』付属の古墳散策マップ等を参考にすると、画像の右側あたりが古墳の跡地となるようです。
『都心部の遺跡』に記載の住所をたどると、古墳の所在地は「田園調布5-30-16」とあり、この場所は田園調布八幡神社境内となっています。同書には別に、田園調布5-30の神社内の未命名の古墳が記載されており、その後発行された『東京都遺跡地図』にも、遺跡番号11番の「田園調布5丁目」の「西岡22号墳」、遺跡番号159番の「田園調布五丁目八幡神社裏」の「八幡神社境内古墳」が別々の古墳として登録されていますので、『都心部の遺跡』に記載された住所が間違いだったのではないかと思われますが、『都心部の遺跡』を頼りに古墳探訪をする場合は注意が必要ですね。

西岡第22号古墳の埋葬施設は横穴式石室で、玄室の長さは3.35m、幅1.87mで、床面には玉石が敷かれており、その上に多くの副葬品が置かれていました。古墳は6世紀末から7世紀前半の築造と推定されています。

大田区田園調布の多摩川台公園内に所在する古墳展示室には、この古墳から出土した刀子、鉄鏃、雲珠が展示されています。
<参考文献>
西岡秀雄「荏原台地に於ける先史及び原始時代の遺跡遺物」『考古学雑誌 第26巻 第5号』
東京都教育委員会『都心部の遺跡』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
大田区大田西地域行政センターまちなみ整備課『大田区古墳ガイドブック―多摩川に流れる古代のロマン』
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- 2017/05/09(火) 02:39:39|
- 大田区/田園調布古墳群
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