
「西岡第23号古墳」と「西岡第24号古墳」は、大田区田園調布5丁目に所在したとされる古墳です。『東京都遺跡地図』には、西岡第23号古墳が大田区の遺跡番号12番に、西岡第24号古墳が13番の古墳(円墳)として登録されています。
この2基の古墳は、西岡秀雄氏により行われた荏原台古墳群の分布調査により把握されています。この調査報告が掲載されている「荏原台地に於ける先史及び原始時代の遺跡遺物」『考古学雑誌 第26巻 第5号』には次のように紹介されています。
第二十三號古墳
(所在位置)舊地名 東京都荏原郡東調布町大字上沼部
新地名 東京市大森區田園調布四丁目八三東光院所有地
(型式)圓型墳
(現況其の他)雑木林中にある。未發掘。
(『考古学雑誌 第26巻 第5号』313ページ)
第二十四號古墳
(所在位置)舊地名 東京都荏原郡東調布町大字上沼部
新地名 東京市大森區田園調布四丁目八三東光院所有地
(型式)圓型墳
(現況其の他)道路開墾工事により切り崩され、現在は全く原形を留めない。高橋正人氏が直刀・鉄蔟・銅釧・人骨等を採集されたが詳細不明。
(『考古学雑誌 第26巻 第5号』315ページ) 画像の道路の右側あたりに2基の古墳が存在したものと思われますが、現在は開発が進み、古墳の痕跡を見ることは出来ません。最初にこの田園調布古墳群を散策した頃には、この周辺にはまた空地(民家の庭?)が残されていた記憶があり、もう少しよく観察して写真を撮っておけば良かったと思うのですが、近年の区画整理で新たに宅地化が行われ、古墳の面影はまったく残されていないようです。
「西岡○○号墳」という名称は、なんと当時中学生だった西岡秀雄氏が世田谷方面から順に番号を付けたもので、後に大学生になってから『人類学雑誌』に発表されたものなのだそうです。当時は、この周辺のあちこちに古墳らしきマウンドがあり、そこをT字型の鉄の棒でつつくと粘土に当たったり、石棺に当たったりすることから、1基ずつ地道に確認していったそうです。西岡氏は、後に大田区立郷土博物館の館長を努めるわけですが、こうして少年時代から功績を残されていることにはびっくりしますね。。。
<参考文献>
西岡秀雄「荏原台地に於ける先史及び原始時代の遺跡遺物」『考古学雑誌 第26巻 第5号』
東京都教育委員会『都心部の遺跡』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
人気ブログランキングへ
- 2017/05/10(水) 00:54:15|
- 大田区/田園調布古墳群
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0