
大田区田園調布5丁目に所在するのが「西岡第31号古墳」と「西岡32号墳」です。『東京都遺跡地図』には31号古墳が大田区の遺跡番号20番、32号古墳が21番の古墳として登録されています。
この古墳は、後に大田区立郷土博物館の館長を努める西岡秀雄氏により1930年代に行われた荏原台古墳群の分布調査により把握されています。当時の記録が掲載されている『考古学雑誌 第26巻 第5号』「荏原台地に於ける先史及び原始時代の遺跡遺物」にはこの古墳について次のように書かれています。
第三十一號古墳
(所在位置)舊地名 東京都荏原郡東調布町大字上沼部字新居里
新地名 東京市大森區田園調布四丁目一二二、西澤氏邸内
(型式)圓型墳
(發掘者氏名及び出土品等)
西岡 秀雄…石釧〔寫眞第一二〕 土器底部等 昭和七年
(現況其の他)現在は邸宅地となり全く原形を留めない。高さ約三・五米。
第三十二號古墳
(所在位置)舊地名 東京都荏原郡東調布町大字上沼部字新居里
新地名 東京市大森區田園調布四丁目一二二、西澤氏邸内
(型式)圓型墳
(發掘者氏名及び出土品等)
西岡 秀雄 松野 正徳…埴輪圓筒〔寫眞第一三〕・土器等 昭和七年
(現況其の他)現在は邸宅地となり殆ど原形を留めない。高さ約二米。
(『考古学雑誌 第26巻 第5号』316~317ページ) 第31号古墳からは石釧が出土しており、また第32号古墳からは多摩川流域で最古のものであるとされている円筒埴輪が出土しています。この2基の古墳の出土遺物が同時期であり、また立地的に隣接していることから1基の前方後円墳ではないかとも考えられており、この地域の小字名から「新居里古墳」と呼ばれています。同じ田園調布5丁目内には、やはり前方後円墳ではないかと考えられている「西岡第19号古墳」が築造されており、立地的に同じような多摩川に突出した狭小な舌状台地の先端に存在するこの「新居里古墳」が前方後円墳である可能性は、じゅうぶんに考えられるように思います。
画像の、台地上に立つ松の木の根本のあたりに存在した(多分)と思われるのが、西岡第32号古墳です。昭和60年(1985)に発行された『都心部の遺跡』では「一部遺存」とされ、現状径30mの円墳であるとされています。現在も痕跡は残されているのかもしれませんが、敷地内を見学することは出来ません。。。

『都心部の遺跡』では第31号古墳も「一部遺存」とされています。
周辺にお住まいの方に伺ったところでは、この古墳に隣接する集合住宅の建築の際には人骨が出土したというお話も聞きました。この人骨が第31号古墳の被葬者であったかどうかは不明ですが、興味深いお話だと思います。。。

多摩川台公園内に所在する古墳展示室には、この古墳から出土した円筒埴輪のレプリカが展示されています。埴輪は2本出土しており、共に底部より15cm程の間の表面の劣化が激しいことから、この部分を墳丘に埋めていたと考えられているようです。この埴輪は5世紀前半に作られ、荏原台古墳群では最古の埴輪であることがわかっています。
<参考文献>
西岡秀雄「荏原台地に於ける先史及び原始時代の遺跡遺物」『考古学雑誌 第26巻 第5号』
東京都教育委員会『都心部の遺跡』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
大田区立郷土博物館『大昔の大田区』
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- 2017/05/19(金) 00:06:04|
- 大田区/田園調布古墳群
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