
『東京都遺跡地図』によると、多摩川中流域左岸の立川市柴崎町4丁目には2基の古墳が登録されています。1基は、現存する墳丘上に沢稲荷が鎮座する「立川市№13遺跡」、そしてもう1基が、立川市の遺跡番号16番に登録されている「立川市№16遺跡」です。
この№16遺跡は昭和30年(1955)5月11日、土地所有者による樹木の移植の際に石室が偶然に発見されたという古墳で、学術的な調査が行われなかったことから詳細は不明で、古墳の正確な場所もわからなくなっていたようです。
『立川市史 上巻』には、古墳が発見された当時のようすが記されており、同書には「発見された状態は、大形(四十センチ以上)の石四二個、中形(二十センチ以上)四五個が南側を入口にし、幅二メートル、長さ六メートルの長方形の形状で、南北に四段に石が積み重ねられていて、その間口には無数の小石がはさみこまれていた。東側の壁はすでに相当破壊されており、原型は推定に留まるものであるが、この種のものは多摩川沿岸の古墳に多く見られるもので、調布市の狐塚や、国立市谷保天神社東側に発見されている古墳と同様の形式で、一応古墳時代の後期に属すると推定されるものである。なお発掘に際し発見されたものは、当時の土師器片3個である。」と書かれています。
古墳の石室は埋め戻されて地中に残存しているのか、それとも完全に破壊されて消滅してしまったのか詳細はわからないのですが、その後の平成18年(2006)には住宅建設に伴う発掘調査が行われ、古墳の周溝の可能性も考えられる溝が検出されています。この溝は、緩やかな円弧を描いているものの確認された範囲が限られており、古墳の周溝であると断定はされていないようですが、昭和30年に石室が発見されたとされる推定地と隣接している(石室が発見された詳細な地点は不明とされている)ことから、この溝が古墳の周溝である可能性も十分に考えられるようです。
大田区から世田谷区、狛江市から調布市、府中市、国立市と、多摩川左岸下流域からはかなり多くの古墳が確認されており、また立川市の上流にあたる昭島市からも古墳の周溝や埋葬施設が確認されているのですが、立川市内からは学術的な調査により確認された古墳はなぜか1基も存在しないという状況です。この№16遺跡周辺地域の調査の進展次第では、立川市の古墳時代の様相が明らかになってくるものと思われます。楽しみですね。。。
<参考文献>
立川市史編纂委員会『立川市史 上巻 』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
立川市教育委員会『立川市埋蔵文化財調査報告集 Ⅲ』
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- 2017/07/07(金) 01:56:37|
- 立川市の古墳・塚
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