
「浅間様古墳」は、大田区田園調布4丁目に所在する古墳です。画像はこの、浅間様古墳を南から見たところです。『東京都遺跡地図』には大田区の遺跡番号23番の古墳として登録されています。
この古墳は、古くは江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』に「古蹟岩室 根通りにあり、深さ二間余りもありて四方六尺ばかりなり、入定穴といへり、昔僧徒の此穴にて入定せしといへど詳なるこを伝えず、又土人こゝをさして浅間ともいへり、百姓久左衛門の持ちなり」とあり、当時は僧の入定穴として知られており、また富士信仰の対象として「浅間」と呼ばれていたことがわかります。石室内には今も八幡様(大日如来の石像)」が祀られており、古墳は「穴八幡」とも呼ばれています。
その後、西岡秀雄氏により行われた荏原台古墳群の分布調査の際には「西岡第34号古墳」と命名されて把握されており、この当時は雑木林の中に古墳は存在したようです。昭和49年(1974)には古墳の横穴式石室が大田区の史跡として指定され、平成4年には墳丘に南側半分の地形測量と石室内部の実測調査が行われ、平成5年には地中レーダー探査が、また平成15年には古墳の一部発掘調査が行われています。
これらの調査により、古墳墳丘の北側半分は宅地造成の際の整地により土中に埋没しているものの良好に保存されていることがわかっており、墳丘南側斜面に認められる周溝の痕跡らしき凹みから、直径13mほどの円墳であると考えられています。また、「版築」による叩き締め工法による墳丘築成と砂質泥岩切石の単室構造の横穴式石室が調査され、7世紀中頃に築造された、荏原台古墳群の終焉の古墳であることが判明しています。
大田区教育委員会により敷地内に設置された説明板には次のように書かれています。
大田区文化財
古墳石室(俗称「穴八幡」)
古墳時代末期(七世紀中頃)のものと推定さ
れる円墳の石室(お棺をおさめる所)である。
墳丘の北半分が埋められたため、現在では
一見しただけでは円墳とはわからないが、明
治時代に描かれたスケッチによると円墳であ
ったことがよくわかる。
石室はその形から横穴式石室と呼ばれるも
ので、切石積という構築技術で造られている。
区内で唯一、その内部をみることができる古
墳である。
いつのころからか、石室内には八幡様がま
つられ、「穴八幡」と呼ばれてきた。
昭和四十九年二月二日指定
大田区教育委員会
いつの日か、古墳を覆っている盛土をはぎ取って古墳本来の姿を見てみたいと思ってしまうのですが、無理な話ですよね、それは。。。
<参考文献>
大田区立郷土博物館『大田区古墳ハンドブック―多摩川に流れる古代のロマン』
大田区教育委員会『大田区の史蹟名勝天然記念物』
現地説明版
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- 2017/07/13(木) 23:47:28|
- 大田区/田園調布古墳群
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