
『東京都遺跡地図』には、大田区田園調布1丁目の多摩川台公園東端に、「浅間神社北古墳」という名称で、大田区の遺跡番号155番の古墳(円墳)が登録されています。画像はこの浅間神社北古墳を北西から見たところです。
浅間神社北古墳は、昭和62年(1987)に行われた東京都教育委員による分布調査により把握された古墳です。「浅間神社古墳」とは、東横線の切り通しを挟んだ多摩川台公園側のアジサイ園に所在しており、埴輪が採集されたことから、浅間神社古墳とは別の単独の古墳が存在するものと考えられていました。このマウンドの地形図の等高線は方形に巡っていることから、円墳のほかに方墳の可能性も考えられていたようです。
その後、浅間神社古墳の第一次調査により、浅間神社古墳の前方部がそれまで考えられていた南側(神社の参道側)ではなく、北側(東横線の切り通し側)を前方部とする前方後円墳である事が判明します。この結果により、浅間神社北古墳は浅間神社古墳の前方部の全面に相当する可能性も想定されたようです。
しかし、さらにその後の第二次調査の結果、このマウンドが浅間神社古墳の前方部である可能性はきわめて低く、東横線の切り通し工事によって削られた前方部の一部が土砂とともにこの位置まで流入したか、もしくは実在した北古墳が削平された際に墳丘盛土が押し流されたかのどちらかであると考えられているようです。ただし、浅間神社古墳と浅間神社北古墳の埴輪が同一のものである可能性が高いことから、浅間神社古墳の削られた前方部の一部が土砂とともに流入したという説が有力であるようです。
同じ田園調布古墳群の、かつて古墳ではないかと考えられていた「多摩川台古墳群 旧8号墳」は、切り通し道路の残土により形成された高まりで、古墳ではないことがわかっていますが、この北古墳のマウンドは少なくともかつては古墳の墳丘を構築した残土である可能性が高く、「元古墳」であると考えるとそれなりに愛おしく見えてくるから不思議ですね。(うん。やっぱり私は病気です。笑。)
<参考文献>
東京都教育委員会『都心部の遺跡 1985』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
浅間神社古墳遺跡調査会・東京急行電鉄株式会社『浅間神社古墳』
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- 2017/08/02(水) 01:14:45|
- 大田区/田園調布古墳群
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初コメです
小学生の頃、課外学習の調べ物でこちらのサイトを見つけ、陰ながら応援し続けて20に差し掛かろうとしているところです
管理者様の行動力とリサーチ力にはいつも驚かされます
これからも陰ながら応援させて頂きます(個人的に好きな古墳モドキなのでこちらで失礼しました)
- 2022/07/12(火) 02:38:29 |
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- OTAkohunn #-
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OTAkohunn様、こんばんは!
嬉しいコメント、ありがとうございます。
20に差し掛かる、ということは7〜8年もかけて見ていただいているのでしょうか。。。
私の稚拙なブログが誰かのお役に立てているとしたら、これほど嬉しいことはありません。
今後とも末長く、よろしくお願いいたします。
浅間神社北古墳は、私も最初は古墳かと思っていましたが、違うと知ってびっくりしました。笑。
- 2022/07/17(日) 22:41:45 |
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- ご〜ご〜ひでりん #G67hs.TE
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