
画像は、砧公園1丁目にある「砧大塚」を西から見たところです。世田谷区の遺跡番号47番の塚です。
この塚は古来より「大塚」と呼ばれていて、かつては西岡秀雄氏により「西岡第1号古墳」として紹介されていました。しかし、1959年に大場磐雄氏により発掘調査された結果、葺石や埴輪、主体部も発見されず、盛土はすべて真っ黒な腐植土壌で、発掘された遺物も鎌倉から室町期の土師皿や中世の通貨などであったそうです。つまりはこの結果、この塚は古墳ではなく、上人塚や行人塚、念仏塚に類するものと推定されているようです。規模は、径22.5m、高さ4mとされています。
元位置は南東約50mの位置にあったようですが、東名高速道路の建設のため1967年にこの位置に移築保存されています。
<参考文献>
世田谷区史編さん室『世田谷区史料 第8集 考古編』
東京都教育委員会『1985 都心部の遺跡』
- 2012/11/09(金) 06:27:51|
- 世田谷区/その他の古墳・塚
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「古墳じゃなかった」と聞いてしまうと「なーんだ」とつい思ってしまいますが、こういう塚の方が却って貴重かも知れないですね。どういう目的で造られたんでしょうね。
- 2012/11/10(土) 20:51:14 |
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- kanageohis1964 #-
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コメントありがとうございます!
かつて古墳かも知れないと考えられていて「○○古墳」と名付けられた塚に関しては、その後に調査されて古墳ではないと判明した場合でも、古墳ではなかった事実も含めて紹介しようという意図で載せてみています。
砧大塚は、仏教の呪術を行った祭壇なのだそうです。周りを木々に囲まれていて、絵的には良い味を出していると思います。
ただし、埴輪や葺石、石室もない盛り土を違う場所に移して「移設保存」と呼ぶのは、いささか抵抗はあるのですが、いかがなもんなんでしょうね。。。
- 2012/11/11(日) 11:37:29 |
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- ご〜ご〜ひでりん #hzwp2T5Q
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