
中野区弥生町6丁目全域から南台5丁目にかけて存在するのが「向田遺跡」です。この遺跡の北側には善福寺池を湧水とする善福寺川が流れ、また南側から東側にかけて井の頭池を湧水とする神田川が流れ、向田遺跡の北東で合流しています。この河川に挟まれた舌状台地上からは古くから弥生土器が出土することが知られており、「弥生町」の町名の由来ともなっているそうです。
平成18年(2006)には向田遺跡の二次調査が行われており、2基の円墳の周溝が検出されています。画像の右側あたりが1号墳、そのさらに右奥が2号墳の跡地となるようですが、住宅地として開発が進んだ地域での発掘調査によって確認された古墳ですので、当然痕跡はなく、跡地には集合住宅らしき建物が建てられています。

画像の道路を登り切った突き当たりのあたりが2基の古墳の跡地です。1号墳の周溝外径は推定約16.1m、内径約12.8mの円墳で、2号墳は推定約14.1m、内径約9.6mのブリッジ付きの円墳で、2号墳の周溝からはほぼ完形の坏が2点出土しています。この2基の古墳は、周溝外側の最短間隔が約90cmとかなりの近距離にあり、覆土のロームや黒褐色土の堆積の仕方が似ていることからほぼ同時期に築造されたものと考えられており、古墳の年代は5世紀末と推定されているようです。
古墳の築造には、直線的な崖線沿いよりも河口周辺や半島状に突き出た舌状台地の先端あたりが特に一等地として好まれたのではないかと考えていますが、この2基の古墳は舌状台地の根本のあたりに築造されていますので、特にここから北東側(舌状台地の先端あたり)から未発見の古墳が発見される可能性は高いかもしれません。。。

善福寺川と神田川の合流地点です。
この2つの川は私にとっては身近な河川なのですが、「ああ、ここで善福寺川は終わりなんだ?」と意味なく感傷的な感じです。。。。
<参考文献>
比田井克仁『伝説と史実のはざま―郷土史と考古学』
中野区教育委員会『向田遺跡Ⅱ 発掘調査報告書』
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- 2017/08/24(木) 00:03:55|
- 中野区の古墳・塚
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