
「かんかん塚」は、杉並区阿佐谷南2丁目に所在したといわれる塚です。『東京都遺跡地図』には未登録の塚ですが、地元にはこの塚にまつわる言い伝えが残されているようです。
昔、長い間五穀と肉類を断って木食修行をしてきたというやせ衰えた旅の行者が、阿佐ヶ谷村の名主である相沢喜兵衛さん宅を訪れ、「自分の寿命があと二十日程しか残されていないことがわかったので、穴を掘って生き埋めにしてほしい」と頼み込んだそうです。
名主は、村の人を集めて協力を求め、行者は翌朝、水ごりで身を清めてから白衣に着替え、座禅を組んでから名主の案内で村はずれの山に向かいました。前日に掘られた墓穴の廻りには、生き仏を拝もうと大勢の村人が集まっていたそうです。
行者は「地下から鉦(かね)の音が聞こえる間は、毎日お椀で一杯の水を息抜き用の竹の穴へ流し込み、鉦の音が聞こえなくなったら竹を引き抜いて穴を埋めてくれ」と村人に頼み、塚の中に入ったそうです。
竹の穴から鉦の音が聞こえる間は村人たちが毎日水を流し込みましたが、21日後に鉦の音が聞こえなくなり、村人たちが供養をした上で竹を引き抜き、塚を埋めたそうです。
その後、村人がここを通るとカンカンと鉦の音がすると評判になり、塚は「かんかん塚」と呼ばれるようになったといわれています。
塚は、大正末期には道路の拡張により一部を削られ、その後の宅地造成により残存部分が削平されて姿を消しています。画像の道路の右側が、かんかん塚の所在地とされる阿佐ヶ谷南2丁目22番地ですが、塚の正確な位置はすでにわからなくなっているようです。道路の拡張により削られたということですから、おそらくはこの道路沿いの右側あたりに存在したのではないかと考えられますが、残念ながら塚の痕跡はまったく残されていないようです。。。
<参考文献>
森泰樹『杉並の伝説と方言』
杉並区教育委員会『杉並の通称地名』
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- 2017/09/05(火) 23:41:33|
- 杉並区の古墳・塚
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こちらの投稿を興味深く拝見しまして、もう少し詳細を知りたい、、、と思ったのですが、参考文献の
森泰樹『杉並の伝説と方言』
杉並区教育委員会『杉並の通称地名』
には、もう少し詳しい記述ございますでしょうか?
その後の即身仏さまの行方などわかりましたら、お参りしたいです。。。
- 2021/11/21(日) 07:49:11 |
- URL |
- よーこりん #-
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よーこりん様、初めまして。
ご訪問ありがとうございます。
なんだか嬉しい質問ですね。笑。
私、当時は杉並の中央線沿いで暮らしておりましたので、区内に残存する古墳が存在しないにも関わらず、塚に関してはわりと丁寧に調べました。
この「かんかん塚」に関しては、発掘調査が行われることなく消滅しているため、伝説通りに入定塚であったかどうかは不明です。
塚を削平する際にもし即身仏が発見されていれば、それなりに記録が残っていそうな気もしますし、出土した遺物に関する記述のある書籍なども含めて見つけることはできませんでしたので、ひょっとしたら何も出土しなかったのかもしれません。
こうした、塚にまつわる伝承が史実である可能性は半々ですよね。。。
地元ではかなり知られた有名なお話だったようなので、大正末期から昭和初期の郷土史本や雑誌などをもっと丹念に追いかければ、何か新たな記述が見つかる可能性はあるかもしれません。
ちなみに森泰樹氏の著書は、『杉並の伝説と方言』以外にも『杉並風土記 上・中・下巻』や『杉並歴史探訪』、『杉並区史探訪』など多々ありまして、かんかん塚の記述は複数あったと思います。
私、これらの書籍はちゃんと買って所有しているのですが、引っ越した際の段ボールに詰め込んだまま未開封でして(すみません)、すぐ調べることができませんが、『杉並の通称地名』も含めて、荻窪の中央図書館に行けば、すべてすぐに見られると思います。
杉並の即身仏で思い出しまして、余談ですが、杉並区松庵3-10-3、五日市街道沿いにある西高井戸松庵稲荷神社には、狐のミイラが安置されているそうです。
残念ながら姿を見ることはできませんが、参拝してみるのも面白いかもしれません。
- 2021/11/21(日) 21:04:57 |
- URL |
- ご〜ご〜ひでりん #G67hs.TE
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こんなにご丁寧に返信いただいて、嬉しいです! ありがとうございますー!!!!!!
- 2021/11/22(月) 06:36:58 |
- URL |
- よーこりん #-
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