
画像は、新宿区内藤町に所在する「多武峯内藤神社」を南から見たところです。
この神社は元々は、内藤家四谷屋敷内(現在の新宿御苑)にあった内藤家の屋敷神で、大和国の多武峯神社を勧誘したものです。内藤家屋敷が大蔵省所管となった明治5年に現在地に移転しています。
この神社の境内には、新宿区登録文化財である「駿馬塚の碑」が所在します。

画像が、多武峯内藤神社境内に所在する「駿馬塚の碑」です。
新宿区教育委員会により設置された説明板には次のように書かれていました。
新宿区登録有形文化財 歴史資料
駿 馬 塚
所在地 新宿区内藤町一番八号
登録年月日 平成五年三月五日
内藤清成の駿馬の伝説にかかわる石碑である。
徳川家康は江戸入府後、家臣の内藤清成を呼び、
現在の新宿御苑一帯を示し「馬でひと息に回れ
るだけの土地を与える」と語ったという。
清成の乗った駿馬は、南は千駄ヶ谷、北は大久
保、西は代々木、東は四谷を走り、疲れ果て死ん
でしまったので、大樫の下に埋めたと伝えられる。
後に内藤家の森林の管理役となった中家休昌と
木下正敷が、文化十三年(一八一六)八月に樫の
古木の跡に塚を造り、駿馬塚の碑を建てた。
碑はその後、明治五年(一八七二)九月に現在
地に移されたものである。
平成五年十一月
東京都新宿区教育委員会
画像が、駿馬塚の跡地周辺の現在のようすです。
内藤清成の乗る白馬が倒れ、葬られたという「駿馬塚」は、現在の新宿御苑入り口の左側、駐車場となっているあたりに存在したといわれています。立地的に、駿馬塚が元々あった古墳を流用した塚である可能性も考えたのですが、塚が削平された際の遺物の伝承等もなく、詳細はわかりませんでした。

駿馬塚の碑の横には、内藤氏の白馬を祀るお堂が建てられています。

お堂内部に祀られている、江戸時代の作とされる「駿馬像」です。
元禄11年(1698)の内藤新宿開設から三百年を記念して修復されているそうです。
駿馬像の右上あたりに鬼の面というか人の顔のようなものが見えるのですが、なんだろう。
ちょっと怖いですよね。。。

<参考文献>
羽賀善次郎『新宿の散歩道 その歴史を訪ねて』
東京都新宿区教育委員会『新宿と伝説』
新宿歴史博物館『ガイドブック新宿区の文化財 史跡(西部編)』
現地説明版
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- 2017/09/12(火) 02:11:02|
- 新宿区の古墳・塚
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| コメント:2
といふか、左上??にも若干顔に見えるものが。。怖いですね。。ぶるぶる。。
- 2017/09/13(水) 00:43:49 |
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- 紅一点 #-
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紅一点さま、こんばんは。
元の画像を拡大してみてみたのですが、左上のはガラスに反射した外の景色であるようです。右上のは鬼の面のように見えるのですが、何なのでしょう。。。
- 2017/09/15(金) 00:10:44 |
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- ご〜ご〜ひでりん #OsZoF7Es
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