
画像は、渋谷区恵比寿南1丁目にある「福徳稲荷大明神」を東から見たところです。『東京都遺跡地図』には、この場所に渋谷区の遺跡番号55番の古墳(円墳)である「渋谷区№55遺跡」が登録されています。
さて、この福徳稲荷には数多くの伝説が残されています。この周辺は古くは下渋谷の稲荷山と呼ばれており、明治の初め頃までは森林だったそうですが、この稲荷社の祠の傍には数百年の樹齢を持つ大きな古杉が聳えており、神木と崇められていたそうです。地元の下渋谷村の人々には、もしもこの木を切ったり枝を折ったりすると祟りがあると信じられており、恐れられていました。また、この福徳稲荷の南西に四、五十間(70~90m)ほど離れたところには「奥の院」と呼ばれる小さな楕円形の塚があり、この場所も怖れられて誰も近づかなかったそうです。ちなみに地元の人々はこの塚を「狐塚」と呼んでいたそうですが、『東京都遺跡地図』を見ると、福徳稲荷の南西四、五十間の場所には渋谷区の遺跡番号56番の「渋谷塚古墳」が登録されており、狐塚と渋谷塚古墳が同一の塚なのか、またどんな性格の塚なのかとても興味深いところです。。。
明治39年にはJR山手線恵比寿駅の開設工事が始まり、たくさんの人夫たちが建築工事のために集まってきたそうですが、この稲荷山の福徳稲荷の社域までやってきて、立ち小便をしたり、稲荷社の絵馬をたき火にして燃やしたりしたそうです。その後、立ち小便をした人夫が大けがをして死んでしまったり、たき火をした者たちも原因不明の熱が出たり怪我をしたりしたそうです。それからというもの、この稲荷に乱暴する者はいなくなったそうです。また、明治41年には、下渋谷の蕎麦屋鈴木庵の老婦人が、福徳稲荷大明神のお告げにより祠の修理や整頓をしたところ、大病が数日のうちにすっかり治ってしまったそうです。またある年、下渋谷の祥雲寺境内にある霊泉院で火事があったそうですが、その火事に先立って霊泉院のお住持鈴木子順師の夢枕に福徳稲荷大明神が立ち、「今夜、火難あり」と告げたそうです。そのお告げの通り、その日の夜に近火がありました。。。

現在この福徳稲荷周辺は開発が進み、ビルやマンションが建ち並んでいます。古墳の痕跡は何も残されていないようです。。。
<参考文献>
東京都渋谷区『新修 渋谷区史 上巻』
東京都教育委員会『都心部の遺跡』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
渋谷氷川神社『渋谷の歴史 -渋谷昔ばなし-』
東京都渋谷区教育委員会『渋谷のむかし話』
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- 2016/10/23(日) 23:32:18|
- 渋谷区の古墳・塚
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