
画像は、新宿区東大久保2丁目にある西向天神社を西から見たところです。正式には大久保の天満宮と称するこの神社は、安貞2年(1282)に、京都栂尾の明恵上人(1173~1232)が東国に五大尊寺を開こうとして、菅原道真自作の尊像を持って下向し、翌年当地の村人と計って祠堂を建てて鎮守としたことにはじまるといわれています。古来より東大久保村の鎮守社であり、社殿が西を向いていることから西向天神と呼ばれています。
この神社の境内には「東大久保富士」と呼ばれる富士塚が所在します。

画像が、西から見た東大久保富士です。境内西南隅の、崖に面した斜面の突端に築かれており、ボク石で固められています。塚は、崖の斜面をボク石で覆って富士塚の延長としており、崖の下から見上げると、高さ約10メートルほどの巨大な富士塚の姿を見ることが出来ます。四谷谷町丸谷講により、天保13年(1843)に築造された富士塚です。

富士塚から北方に少し離れたところに、大正15年造立の「浅間神社」と刻まれた石碑と「富士山一合目」と刻まれた石碑があり、その奥にボク石で洞窟(胎内)が造られています。こんなに離れた位置に胎内が造られている富士塚はちょっとめずらしいのではないでしょうか。
それにしても、斜面に横穴が空いているとすべて横穴式石室か横穴墓に見えてしまいます。困ったものです。。。

境内から見た東大久保富士です。この位置から見た塚が本来の大きさで、高さ2メートルほどの富士塚を見ることが出来ます。
新宿区内では、「高田富士」や「上落合富士」が、いずれも築造当時に古墳を流用する形で富士塚が築かれています。この東大久保富士も台地の縁辺部に築かれていることから、古墳流用の可能性はないものかと考えて見学に訪れてみましたが、どうやら古墳とは無関係だったかもしれません。。。
<参考文献>
羽賀善次郎『新宿の散歩道 その歴史を訪ねて』
(財)日本常民文化研究所『富士講と富士塚 ―東京・神奈川―』
新宿歴史博物館『ガイドブック新宿区の文化財 史跡(西部編)』
現地説明版
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- 2017/09/19(火) 00:39:16|
- 新宿区の古墳・塚
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