
現在の中野区松が丘1丁目周辺には、かつては複数基の古墳により形成される古墳群が存在したといわれています。杉並区上井草より発する井草川を上流とする妙正寺川の右岸にあたる地域で、『東京都遺跡地図』には未登録となっているようですが、昭和18年(1943)に東京都中野区役所より発行された『中野区史 上巻』にこの古墳群についての記述を見ることが出来ます。
同書の「遺跡性質一覧表」には、数ヶ所に古墳が存在したとして「片山東南方高塚墳」の名称で取り上げられており、また「遺跡遺物の現況」の項では「片山東南方高塚古墳群」の名称で、「江古田一丁目二一六五番地を中心とし、附近一帯、落合方面に連績せり。」、「遺蹟 高塚墳、哲學堂附近四ツ塚と同様の大さの由。」、「現況 湮滅、但し明治三十七年頃までは散在せし由。」と書かれています。
記されている「江古田1丁目2165番地」という住所が、当時存在した古墳の1基の所在地なのか、それとも単に複数基存在する古墳の中心地として記載したのかは不明ですが、この番地を古地図で確認すると、かつてのオリエント写真工場の敷地に2161番地が見られることから、おそらくは現在の「妙正寺川公園運動広場」の周辺が古墳の跡地であると考えられます。画像はその妙正寺川公園運動広場を南東から見たところです。

画像は、妙正寺川公園運動広場を北東から見たところです。埴輪片出土地である、新宿区の「妙正寺川No.1遺跡」に隣接する地域ですが、この場所は一段高くなった台地の縁辺部にあたります。古墳築造のための立地としては、かなり適した場所だったのかもしれません。
妙正寺川流域に墳丘が残る古墳はすでに1基も存在しないのですが、色々調べてみるととても興味深い地域です。。。
<参考文献>
東京都中野区役所『中野区史 上巻』
妙正寺川No.1遺跡調査会『妙正寺川No.1遺跡』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
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- 2017/09/25(月) 00:06:20|
- 中野区の古墳・塚
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