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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

「擂鉢山」

「擂鉢山」

 画像は、新宿区西新宿1丁目25番地の新宿センタービル周辺を南東から見たところです。
 この一帯は、幕府旗下渡邊氏の下屋敷だったところで、「擂鉢山」と呼ばれる小丘があったといわれています。擂鉢山という名称からは前方後円墳を連想したくなるところですが、『東京都遺跡地図』には特にこの場所に登録されている古墳(遺跡)は存在しないようです。新宿副都心の高層ビル群に存在したといわれるこの擂鉢山は古墳だったのでしょうか。

 昭和6年に発刊された加藤盛慶著、『東京淀橋誌考』には、
 「渡邊土手際」 新宿驛の東側なる武藏野館、新歌舞伎座、三越支店等附近一帶の地は、舊幕臣渡邊虎之助の下屋敷にして、甲州街道に面し土手ありし故に名づく、維新後は武井男爵家にて買受け住み居たるよし、當時坪當り金五十錢位なりしと、其の後汽車開通の頃より、薪炭を商ふ店など漸次建増したるも、猶ほ一面に桑畑あり、竹藪あり、擂鉢山といへる丘もありて、莚小屋の芝居、相撲など掛り青梅街道側には藪花牡丹園などもありたるよし、古老は物語れり、猶ほ大正五年頃まで小林某の經營にて新宿座と稱する古き小劇場ありて、尾崎行雄等の政談演説會なども開かれたり。」(『東京淀橋誌考』501ページ)
 と、この地域に桑畑や竹藪とともに擂鉢山という丘があったことが書かれています。


「擂鉢山」
出典:国土地理院ウェブサイト(http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=741346&isDetail=true)

 画像は、国土地理院ウェブサイトより公開されている、昭和19年(1944)に陸軍により撮影された擂鉢山所在地周辺の空中写真です。写真左側は当時の淀橋浄水場で、中央に見える前方後円形の影が擂鉢山ではないかと思われます。この影は、昭和20年(1945)の写真までは見ることが出来るのですが、昭和22年以降の写真には見られないようなので、戦後には取り崩されてしまったようです。もしもこれが古墳であれば、100メートルに満たない50~80メートルほどの小形の前方後円墳だったのではないかとも考えられます。


「擂鉢山」

 明治期の地形図を確認すると、やはり前方後円形の地形を見ることが出来るのですが、空中写真の前方後円形の影の位置とは異なる場所に描かれています。地形図にミスがあるとは考え難いところですが、空中写真の擂鉢山の位置には地形図にも塚らしき存在は描かれています。
 気になるのは、地形図の擂鉢山の後円部(?)の部分を取り囲むように円形の塚状の地形が見られることです。この地形図だけで判断すると古墳群か?とも考えられるのですが、この円墳群らしき影は、位置がズレているはずの空中写真の擂鉢山の周囲にも同様に見られるようです。
 東京都新宿区教育委員会より昭和51年(1976年)発行の『新宿区町名誌―地名の由来と変遷―』では、この擂鉢山は幕府旗下渡邊氏下屋敷の土塁だったとしているようです。元々あった古墳を土塁に転用したという可能性も考えられると思われますが、このあたりの真相はわかりませんでした。。。


「擂鉢山」

 最後の画像は『東京女子大学五十年史』の66ページに掲載されていた平面図です。
 東京女子大学は、大正7年(1918)に豊多摩郡淀橋町字角筈(つまり空中写真に見える擂鉢山らしき影の東側あたり)で開学しており、6年後の大正13年(1924)に豊多摩郡井荻村(現在地である杉並区善福寺2丁目)に移転しています。従って、この平面図は大正時代のものということになりますが、やはり敷地内の北東隅に前方後円形の築山が描かれています。
 また、興味深いのは敷地の南の隅にもう1箇所円形の築山が描かれていることです。ひょっとすると、擂鉢山はやはり空中写真の位置が正解で、地形図では何らかの手違いで、平面図にある円形の築山の位置に擂鉢山を描いてしまったのではないか?とも考えられますが、これも真相はわかりません。
 新宿副都心の高層ビル群に前方後円墳が存在したと想像するとちょっとわくわくしますが、もし古墳が現代まで残されていて、高層ビルと前方後円墳が並んでいたとしたらもっとわくわくしますが、時すでに遅し!古墳の痕跡はまっったく残されていないようです。


「擂鉢山」

 擂鉢山跡地のすぐ横、現在の新宿エルタワーの北側の植え込みの中には「淀橋浄水場趾の碑」が建てられています。
 淀橋浄水場は、東京にコレラが流行した明治19年に市民が9,800人も死んだことから、それまで使用していた玉川上水などを改良するためにオランダの技師、ファン・ドールンに調査を依頼、水道建設を設計させ、明治25年12月に着工、7年の歳月を経て32年12月に落成式が行われたそうです。玉川上水から引き入れて浄化した水は、中野、渋谷、文京区全域のほか新宿、中央、千代田、港、台東、江東、豊島、北、荒川区などにも給水していたようです。
 現在の、東京都庁、新宿NSビルを始めとした高層ビル群は、この淀橋浄水場の跡地に建てられています。この周辺を歩いていると地面の高さが違っていて、地上を歩いているのか地下を歩いているのかよくわからなくなってしまう場所なのですが、これは浄水場の池を地上の高さまで埋め立てるには予算がかかりすぎることから埋め戻さなかった、つまり現在の高層ビルは池の底に建てられているようなものなのだそうです。
 うーん。高層ビルより前方後円墳が見たかった…。

<参考文献>
羽賀善次郎『新宿の散歩道 その歴史を訪ねて』
新宿区教育委員会『新宿区町名誌 ―地名の由来と変還ー』
東京女子大学『東京女子大学五十年史』


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  1. 2017/10/02(月) 00:15:02|
  2. 新宿区の古墳・塚
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:8
<<「追分一里塚跡」―文京区指定史跡― | ホーム | 「哲学堂公園内の塚状地形」>>

コメント

こんばんは、ご〜ご〜ひでりん様。
確か初めてお邪魔した時期も他でこのマウンドを調べてた方を参照しつつ、ついでに北区の大塚古墳が古墳じゃない旨を学芸員さんに教えられ書き込みしたと思ったのですが、どうも勘違いしてたようです。

で、その時の自分の考えなのですが、地図上でマウンド状なのは「浄水場引込み線脇(他の図を見ると北向きの帆立貝型に見えます)」、「女子学院西端の築山」、「女子学院南方の小マウンド群」だけではないかと思います。航空写真だと一個目は南西向きのやや長い形状に見えますが、戦前の写真では北東側は隣接する建物と判ります。
で、小マウンドに囲まれてる前方後円墳状の地形ですが、自分はこの書き方だと後円部にあたる場所はマウンドではなく、それこそ擂鉢状の窪みだと思います。学院図で、小マウンドの一基を築山としてるので、あるいはそこを掘り下げた土砂で、周りのマウンドを盛ったのではないかと考えます。前方部にあたる高まりはやや規模が大きいですが、ちょっと元々この位置が高くなってた資料は見当たりませんでした。

渡邊氏下屋敷の土塁の可能性ですが、周囲の寺院位置から、屋敷自体が今の新宿駅で、当該地は成瀬氏の屋敷、もしくはその西にあたると思いますが如何でしょうか?
  1. 2017/10/03(火) 19:38:12 |
  2. URL |
  3. あんけん #pysVlb7U
  4. [ 編集 ]

明治13年の地図では今の小田急の辺にマウンドが描かれてます。弱冠東に思えますが、もしかしたらその前方部にあたるマウンドかもしれません。
http://collegio.jp/kochizu/wp-content/uploads/2007/06/12sou_002.jpg
  1. 2017/10/03(火) 19:51:46 |
  2. URL |
  3. あんけん #pysVlb7U
  4. [ 編集 ]

あんけんさま、こんばんは。

なるほど、窪みとはまったく考えませんでした。
擂鉢山という小丘が存在したこと自体は間違いないと思うのですが、なにぶん情報が少なくて、はっきりとわからなかったというのが正直なところです。
(中野の方(西から北西の神田川の方)から見ると、新宿の高層ビル群のあたりはなだらかな丘陵頂部にあたり、いかにも古墳が映える場所だなという印象なのですが。)
東京女子大学内の図書館で調べれば、ひょっとして大正時代の写真等が見られるのではないかとも考えたのですが、女子大というのが敷居が高く、最後に深追いをしませんでした。。。

小田急線のあたりのマウンドは、存在を初めて知りました!これも古墳の可能性があるのでしょうか?
  1. 2017/10/06(金) 23:35:26 |
  2. URL |
  3. ご〜ご〜ひでりん #OsZoF7Es
  4. [ 編集 ]

こんにちは、ご〜ご〜ひでりん様。
現小田急ハルクのマウンドですが、全然わかりません(爆)。明治20年頃の西口付近の写真とかありますが・・・
http://www.shinjuku-ohdoori.jp/img/history/picture/02/01_02.jpg
場所は策の井跡や青梅街道北側の寺群との位置関係から成瀬氏ではなく、もっと西にあった美濃高須藩松平氏の屋敷跡で(渡邊氏下屋敷は完全に駅の東側ですね)、庭内に「津ノ守山」という山があったとのことで、これが該当するのではと思いますが恐らく調査も無く削平されてるかと考えます。
落合道人さんは女子学院南だとされてますが、引用元からすると・・・?
http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2015-05-15
  1. 2017/10/21(土) 15:31:55 |
  2. URL |
  3. あんけん #pysVlb7U
  4. [ 編集 ]

あんけんさま、こんばんは。

落合道人氏のホームページ、完全に見落としていました!
かなり詳細に調べていてすごいですね!脱帽しました。

この地域を小説の中で描いている、田山花袋著「時は過ぎゆく」は入手して呼んだのですが、小島善太郎著『若き日の自画像』は知らなかったです。。。
しかも、成子富士と天神山についても書かれているようですが、神社の東側にもうひとつマウンドが存在したとはびっくりです。これも百八塚の1基だったのでしょうか。。。

  1. 2017/10/22(日) 01:28:02 |
  2. URL |
  3. ご〜ご〜ひでりん #OsZoF7Es
  4. [ 編集 ]

あんけんさま

落合道人氏の記事や古地図、空中写真を改めて検証すると、「擂鉢山」に関してはやはり古地図の場所の前方後円形の築山が正解かもしれませんね?
周辺の塚状地形のすべてが古墳だったかどうかはわかりませんが、かなり多くの古墳の存在が想定できるかもしれません。
おそらくこの周辺に埋蔵文化財の(古墳時代の)存在は皆無に近いでしょうから、新たな文献や古写真の発掘に期待です。。。
  1. 2017/10/22(日) 22:28:03 |
  2. URL |
  3. ご〜ご〜ひでりん #OsZoF7Es
  4. [ 編集 ]

こんばんは、ご〜ご〜ひでりん様。
高須松平家下屋敷を調べますと、淀橋浄水場東のこの土地は高須藩角筈抱屋敷の庭園「魁翠園」の跡地で、林泉に大がかりな改修をして十二景を設け池や築山を設けるも廃藩置県の明治4年以降は松平家所有のまま荒廃したとのことで、自分は庭園跡ではないかと考えます。
http://www.shinjuku-hojinkai.or.jp/07yomoyama/images/no72_img.gif
一方擂鉢山に関しては、幕府旗下渡邊氏下屋敷の土塁が玉川上水沿いの現在はJRの線路の下で、そこが呼ばれてたなら新宿駅南口の辺りという事になると思います。
http://dhanow.ldblog.jp/archives/34847308.html
またソースは書かれてませんが、小田急の場所にあったマウンドが「津之守山」だという記事を見つけました。
http://uzo800.blog.fc2.com/blog-entry-85.html
これなら南西に有った事にしなくても「若き日の自画像」の記述と矛盾しませんん。
自分で行って調べた訳ではないのですけど・・・。

  1. 2017/10/25(水) 22:46:34 |
  2. URL |
  3. あんけん #pysVlb7U
  4. [ 編集 ]

あんけんさま、こんばんは。

詳しく調べて公開されている方々が大勢居られるのですね。私は図書館で調べることに夢中になりすぎて、ネットで調べる方がおろそかになっていたかもしれません。

遺物の出土等の、古墳説を裏づけるような文献が一つくらいは出てきそうなものなのですが、なかなか見つかりませんでした。やはり下屋敷の土塁だったのかな?という考えもちらりと頭をよぎりますが、まだ資料を探してみます。。。
  1. 2017/10/27(金) 23:44:08 |
  2. URL |
  3. ご〜ご〜ひでりん #OsZoF7Es
  4. [ 編集 ]

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