
画像は、文京区千石2丁目の「簸川神社」を南から見たところです。
この神社の祭神は素盞嗚尊で、第五代孝昭天皇の頃に、小石川植物園の御殿坂周辺にあった貝塚の中の古墳の上に創立されたと伝えられています。
承応元年(1652)に白山御殿造営のため原町に移され、さらに元禄12年(1699)に景勝の地を選び、この地へ遷座したといわれています。
八幡太郎源義家が参籠した古社で、中世に伝通院等を創建した了誉上人が当社を再興、江戸名所の一つでした。

簸川神社社殿です。社殿を含めた境内建物は戦災により立ち木にいたるまで焼失して瓦礫の山となり、昭和33年(1958)に再建されたそうです。
現在の簸川神社境内とその周辺には、古墳を思わせる痕跡は見当らないようです。

画像が現在の「御殿坂」のようすです。
簸川神社が創建された当時の古墳の所在地である「植物園の御殿坂辺り」とは、おそらくはこの坂を登り切った左側あたりかなという程度で、正確な跡地は全くわからなかったのですが、この坂の右側の、現在の東洋大学京北高等学校の敷地は「御殿町古墳」の所在地でもあるようです。
ひょっとしたらこの周辺には複数の古墳が存在したのか、それとも簸川神社の土台となった古墳が御殿町古墳と同一のものである可能性もあるのか、とても興味深い地域です。
<参考文献>
文京区神社総代会・東京都神社庁文京区支部『文京区神社誌』
現地説明版
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- 2017/10/06(金) 23:58:31|
- 文京区の古墳・塚
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