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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

「富塚古墳」その1

宝泉寺

 画像は、新宿区西早稲田1丁目にある「宝泉寺(ほうせんじ)」を南東から見たところです。
 このお寺は、西暦810年頃の草創と伝えられ、また承平年間(931-938)に平将門の乱を平定した藤原秀郷の草創とも伝えられる天台宗の寺院です。かつては、早稲田大学キャンパスの大部分が宝泉寺の寺領であり、境内裏手にある早稲田大学9号館の場所には、戸塚の地名の起源ともいわれる「富塚」と呼ばれる古墳が所在したといわれています。
 『東京都遺跡地図』には、「富塚古墳」の名称での記載はないようですが、新宿区の遺跡番号49番に「下戸塚遺跡」が登録されており、「遺跡の概要」の欄に、弥生時代の方形周溝墓とともに「円墳」が記載されています。


宝泉寺と早稲田大学9号館

 現在の町名である「西早稲田」は昭和50年の新住居表示により生まれた町名で、「早稲田」の西にあたるうえに、早稲田大学があることからつけられた名称といわれています。早稲田大学の名称は、蘭学者の松本順が東京初の洋式病院と洋学校である蘭疇学舎を現在の早稲田鶴巻町に建て、その後、東京専門学校が大学にする際に縁の深い地名である早稲田の名をとったものであり、江戸時代まではこの一帯は「戸塚村」の一部であったものの、戸塚」の地名は皮肉にもこの早稲田大学が元になって消えてしまったようです。
 元々の村名である「戸塚」の地名の由来は諸説あり、江戸時代の地誌『江戸名所図会』には、宝泉寺境内に「富塚」という塚があったことから地名となり、その後、富を戸にしたということが書かれています。また、同書や『江戸砂子』には、旧岡本氏某の邸内に古い塚があり、そこに白狐が住んでいたことから「狐塚」と呼ばれていたが、この狐塚が戸塚になったとも書かれています。
 『高田雲雀』には、この富塚に狐の形の石の扉があったから、とも書かれているようです。また『江戸名所図会』には、この周辺に古来古塚が多くあり、これを「十塚」と呼んだのが「戸塚」になったとする説もあり、また同書の「百八塚」の項には「供養塚 昔富塚と号消しも、富民の制する所なればかの供養塚を富塚と唱へし(後略)」と、喜久井町に所在した「供養塚」という塚を「富塚」と呼んでいたのが「戸塚」になったとする説もあるようです。またほかに、穴八幡の社伝には、源頼家が東征した凱旋の際にこの地にかぶとを埋めたことから「かぶと塚」と呼んだものから名づいたともあるようです。
 いずれにせよ、かつてはこの周辺に数多くの古塚が存在しており、そのうちの1基である「富塚」と呼ばれる古墳が「戸塚」の地名の由来となっているという説は、信憑性の高い話ではあるようです。

 宝泉寺墓地の背後に見えるのが現在の早稲田大学9号館です。この建物の真下に富塚古墳は存在したと思われます。この場所はかつては南側に続く高台と同じ高さだったようですが、この9号館が掘り下げて建てられていることから、地中に残されていたはずの周溝等も含めて古墳の痕跡は何も残されていないのかもしれません。。。


早稲田大学9号館西側、「富塚跡」の説明板

 早稲田大学9号館西側の築山には、新宿区教育委員会による「富塚跡」の説明板が設置されています。
 この説明板には次のように書かれていました。

新宿区登録史跡
富 塚 跡
所 在 地 新宿区西早稲田一丁目六番地
登録年月日 昭和六十二年三月十二日

 このあたりは、昭和四十一年(一九六六)
に甘泉園内に移転するまで水稲荷神社の敷
地であった。神社の境内には、富塚という
古墳(円墳)があった。
 戸塚の地名の起源は、この付近に塚(古
墳)が多く「十塚」・「百八塚」などと呼
ばれたからとか、そのうちの一つである富
塚に因んだ、とかいわれている。
 水稲荷神社移転時に崩され、整地された
が、地名の由来を物語る史跡として貴重で
ある。
 平成三年十一月
        東京都新宿区教育委員会



富塚古墳

 早大敷地内の説明板の記述では富塚は円墳とされており、『東京都遺跡地図』にも円墳の存在が記載されているようですが、言い伝えでは富塚は前方後円墳だったといわれています。江戸時代に、この富塚古墳を流用して「高田富士」と呼ばれる富士塚が造られていますが、この富士塚は古墳の前方部を流用して築かれたといわれており、当時の高田富士の写真を観察したところでは、確かに大きな富士塚の横に小さなマウンドを確認することができます。
 画像は、往時の高田富士のようすですが、当時の水稲荷神社境内の略図でも前方後円形の築山を確認することができるようです。富塚古墳は前方後円墳だった可能性が高いのではないでしょうか。
 

富塚古墳

 「高田富士」は、安永8年(1779)に高田藤四郎という富士信仰の行者により築造されたとされる富士塚で、高さ10メートルほどもある大きな塚は、段丘下の宝泉寺本堂から見上げるとかなり巨大な山に見えたといわれています。安永8年に刊行された『大抵御覧』には「かたはらの山をきりたいらげ、その土を以て新規に山のかたちをきづく。それより老若男女を論ぜず、うぶ子はふ子にいたるまで、われもわれもと土をはこぶ。力すぐれし壮士は十人前も一人ではこび、或は一もっこう或は二もっこう、又やごとなき姫御前も紙につつみてそれぞれに多少を論ぜず、土持してだんだんつもる。一簀の功、終に九仭の山となれり。」と、富士塚築造当時のようすが書かれています。また、その50年後に刊行された 『新編武蔵風土記稿』の下戸塚村の項には「浅間社」として「高さ三丈余仮山上にあり、安永八年の勧請にて山は奇石を畳みて築立巧を極めたり、毎歳六月十五日より十八日まで登山を許し参詣の人にきはへり、里人高田富士と云へり。」とあり、このころには高田富士はかなり知られた存在になっていたことがわかります。
 また、後円部には洞窟があり、この洞窟には小稲荷が祀られていたといわれていますが、これは石室を利用したものであったと考えられているようです。


日行墓

 高田富士を築いたという高田藤四郎は、宝永三年(1706)に京都市の北部で生まれ、11歳で江戸に上り、植木屋をしながら戸塚で暮らしていたといわれています。16歳で身禄の弟子となり、師と別れてからは身禄同行という富士信仰の結社を組織しており、これが「富士講」です。藤四郎は57回もの富士山登拝を行い、正保三年(1646)、年106歳で富士山の三味堂で静かに入定したといわれています。
 藤四郎は日行ともいい、墓は宝泉寺墓地内にあります。画像はこの「日行墓」です。

 新宿区原町1丁目の天祖神社の西には昔報恩寺があり、このお寺には江戸時代に「竜の玉」と「雷の玉」と呼ばれる珍宝があったといわれています。竜の玉は直径15cmほどの死んだ竜の卵で、雨の降る前には湿気を帯びて大きくなるといい、雷の玉は直径約9cmで乳白色にうす藍色とねずみ色、うす茶色の木目のような模様があり、光沢があったそうです。このうちの雷の玉は戸塚で拾ったものといわれ、富塚古墳に落雷した時に副葬品の飾り玉が崩れた玄室から飛び出したものだろうといわれているそうです。
 報恩寺は、明治2年頃に下落合の薬王院に合併して廃寺となっており、この2つの玉は残念ながら行方がわからなくなっているようですが、とても興味深いお話です。


水稲荷神社

 富塚古墳(高田富士)を含む付近一帯はその後、早稲田大学の校地として買収され、時に昭和38年(1963)、古墳は高田富士もろとも崩されてしまいます。古墳の東隣にあった水稲荷神社が西方の甘泉園に移転したことにより、富塚古墳の石室を利用した小稲荷と高田富士も移築されています。
 この際、大学は水稲荷神社の敷地と甘泉園の土地の一部を交換するようなかたちで取得したといわれ、この土地交換に際しては、水稲荷神社氏子の反対運動などもあったようです。古墳が旧地に残されていれば、新宿区内唯一の残存する前方後円墳!となっていただけに、移転による古墳の削平はとても残念ですね。。。
 画像は、新宿区西早稲田3丁目の現在の「水稲荷神社」です。元は早大商法研究室のところにあり、昭和38年(1963)7月25日にこの場所に移転したものです。この神社裏には、富塚古墳の石室の石材を利用した小稲荷が移されており、また境内東には、富塚古墳を流用して築造されたという「高田富士」が移されています。

 以下、次回の「富塚古墳 その2」に続く。。。

<参考文献>
芳賀善次郎『新宿の散歩道 その歴史を訪ねて』
東京都新宿区教育委員会『地図で見る新宿区の移り変わり 戸塚・落合編』
現地説明版


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  1. 2017/10/21(土) 00:34:46|
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