FC2ブログ

古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

「葛西清重墓(清重塚)」―葛飾区指定旧跡―

「葛西清重墓(清重塚)」―葛飾区指定旧跡―

 画像は、葛飾区四つ木1丁目に所在する「葛西清重墓(清重塚)」です。すでにマウンドは削平されて消滅しており、『東京都遺跡地図』には未登録の塚ですが、この墓所内には葛西三郎清重の墓と呼ばれる五輪塔が所在します。

 この清重塚について、江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』には興味深い記述を見ることが出来ます。同書には、「清重塚 当寺除地の畑中にあり、僅の塚なり。松二株あり上に小社を建、清重稲荷と崇めり。昔は塚も大なりしにや後年あたり近き陸田を廣めんとて、塚をも稍堀崩せるに一の石槨堀得たり。其蓋石に梵字と蓮華を刻し、側に葛西三郎清重と彫り、槨中に佛像及び武器等ありしかは佛像のみ取出て当時の宝物とし、其余は元の如く埋みて塚上に社を立しと云。按に清重が遺骨をここに葬すと云うこと疑ふべし。彼は文治五年奥州の泰衡追討とて下向し、凱陣の後其功に依て奥州七郡に封せられ検非違使所の事を管領して彼国へ移転し、子孫連綿住居せし由、対内風土記、平泉旧蹟志、奥羽観跡聞老志等にも載て、再び当郡へ帰住する事他に所見なしもしくば清重移転の後、一族の者ここに住してそれらの遺骨を葬せしなるを、清重が名高きを以誤り傳へしにあらすや。殊に寺伝に親鸞回国の時清重法弟と成て薙染し、宅地を寺とせしなと云事、年代齟齬するに似たり。是等に依ても清重にあらさる事論無るべし。又寺内に清重が碑とて五輪の塔あれど、銘に寛永八辛未天為道松禅定門云々とほのかにみゆれば、恐くは他人の碑なるべし。又其側に応永20年の古碑あれど是も何人の碑なりや詳ならず。」と書かれています。
 つまりは、江戸時代に畑を拡げようとした際にこの塚から石棺が掘り出され、その蓋石には梵字と蓮華が彫られていて側には葛西三郎清重とあり、棺の中には仏像や武器の類がぎっしり詰まっていたようです。ただし、葛西三郎清重は文治5年に奥州の泰衡追討の成功により奥州に移転しており、清重の遺骨がこの場所に葬られているということは疑わしいのではないかとも書かれています。

 この塚が清重の墓ではなく、塚からは石棺が掘り出され、棺の中には大量の武器が詰まっていたというエピソードからすると、清重塚は古墳だったのではないかと考えたくなるところですが、真相はいかがなものでしょうか。。。


「葛西清重墓(清重塚)」―葛飾区指定旧跡―

 画像が現在の清重塚のようすです。江戸時代には開墾により削平され、僅かな高まりであったとされる清重塚ですが、古くはかなり大きな塚であったと考えられるようです。現在は塚は完全に削平されて平らになっているようですが、地中には石室が埋まっているのでしょうか。
 東京都教育委員会により設置された説明板には次のように書かれていました。

東京都指定旧跡
葛西清重墓
所在地 葛飾区四つ木一の二五の八
    西光寺墓地内
標 識 大正十五年四月
指 定 昭和三〇年三月二八日

 葛西清重(一一六二-一二三八)は、鎌倉時
代前期の御家人です。葛西氏は平安時代末期
から下総国葛西地域に勢力をもつ豪族でした。
清重は、源頼朝の挙兵に応じて平氏追討のた
め西国に赴き、また奥州藤原氏征伐にも参加
して功績を挙げ、奥州惣奉行として奥州支配
の任に当たりました。そののちも、梶原景時
の乱の鎮圧に功を成し、壱岐守まで進みまし
た。草創期の鎌倉幕府において、頼朝の信任
の厚い重臣でした。この墓は、清重の墓と伝
えられているものです。
 平成二四年三月 建設 東京都教育委員会



「葛西清重墓(清重塚)」―葛飾区指定旧跡―

 画像は、同じ四つ木1丁目の「西光寺」を南東から見たところです。天台宗、超越山来光院と号す、葛西三郎清重の居館跡として知られるお寺です。
 山門の横の塀の上にわずかに顔をのぞかせているのが、葛飾区観光協会による案内板で、この案内板には「史跡 葛西三郎清重の遺跡 西光寺は鎌倉時代、関東の豪族として雄飛した葛西三郎清重の居館跡として知られています。当寺は古くは嘉禄元年(1225年)清重の創建と伝えられ、天台宗超越山来迎院と号しています。また、近くにある清重塚と称す古墳は葛西清重夫妻の遺骸を葬った場所といわれています。 葛飾区 (社)葛飾区観光協会」と、清重塚についてもふれられています。

<参考文献>
東京都葛飾区教育委員会『葛飾区の歴史と史跡・名所・文化財』
葛飾区郷土と天文の博物館『葛飾遺跡探訪』
現地説明版


人気ブログランキングへ

  1. 2017/11/02(木) 01:16:19|
  2. 葛飾区/その他の古墳・塚
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<「宝木塚」 | ホーム | 「鬼塚」―葛飾区指定史跡―>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://gogohiderin.blog.fc2.com/tb.php/791-34d51a75
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

カテゴリ

足立区/伊興古墳群 (4)
足立区/その他の古墳・塚 (9)
葛飾区/立石古墳群 (3)
葛飾区/その他の古墳・塚 (10)
江戸川区の古墳・塚 (0)
板橋区/志村古墳群 (10)
板橋区/その他の古墳・塚 (36)
北区/赤羽台古墳群 (2)
北区/十条台古墳群 (2)
北区/飛鳥山古墳群 (8)
北区/田端西台通古墳群 (1)
北区/その他の古墳・塚 (14)
荒川区/尾久 微高地 (4)
荒川区/町屋-三河島 微高地 (19)
荒川区/南千住 微高地 (3)
荒川区/日暮里 台地上 (2)
台東区/上野台古墳群 (5)
台東区/その他の古墳・塚 (7)
墨田区の古墳・塚 (4)
練馬区の古墳・塚 (16)
豊島区の古墳・塚 (3)
文京区の古墳・塚 (8)
杉並区の古墳・塚 (18)
中野区の古墳・塚 (17)
新宿区の古墳・塚 (19)
千代田区の古墳・塚 (7)
目黒区の古墳・塚 (9)
渋谷区の古墳・塚 (19)
港区の古墳・塚 (8)
品川区/品川大井古墳群 (7)
品川区/その他の塚 (15)
大田区/田園調布古墳群 (34)
大田区/鵜の木・久が原古墳群 (8)
大田区/その他の古墳・塚 (52)
世田谷区/野毛古墳群 (24)
世田谷区/殿山古墳群 (9)
世田谷区/大蔵古墳群 (0)
世田谷区/砧中学校古墳群 (2)
世田谷区/喜多見古墳群 (13)
世田谷区/砧古墳群その他 (8)
世田谷区/その他の古墳・塚 (18)
武蔵野市の古墳・塚 (3)
三鷹市の古墳・塚 (7)
狛江市/狛江古墳群(和泉) (34)
狛江市/狛江古墳群(岩戸) (13)
狛江市/狛江古墳群(猪方) (29)
狛江市/その他の古墳・塚 (1)
調布市/国領南古墳群 (2)
調布市/下布田古墳群 (16)
調布市/上布田古墳群 (7)
調布市/下石原古墳群 (2)
調布市/飛田給古墳群 (17)
調布市/その他の古墳・塚 (13)
府中市/武蔵府中熊野神社古墳 (2)
府中市/白糸台古墳群 (14)
府中市/高倉古墳群 (32)
府中市/御嶽塚古墳群 (19)
府中市/その他の古墳・塚 (15)
国立市/下谷保古墳群 (12)
国立市/青柳古墳群 (3)
国立市/その他の古墳・塚 (9)
立川市の古墳・塚 (14)
稲城市の古墳・塚 (12)
多摩市/和田古墳群 (15)
多摩市/その他の古墳・塚 (8)
日野市/平山古墳群 (7)
日野市/西平山古墳群 (5)
日野市/七ッ塚古墳群 (9)
日野市/万蔵院台古墳群 (4)
日野市/その他の古墳・塚 (12)
町田市/能ケ谷香山古墳群 (0)
町田市/その他の古墳・塚 (21)
八王子市の古墳・塚 (33)
昭島市の古墳・塚 (12)
あきる野市/森山古墳群 (3)
あきる野市/草花古墳群 (14)
あきる野市/御堂上古墳群 (4)
あきる野市/瀬戸岡古墳群 (7)
あきる野市/牛沼古墳群 (3)
あきる野市/その他の古墳・塚 (16)
日の出町の古墳・塚 (2)
青梅市の古墳・塚 (16)
西東京市•東久留米市の塚 (5)
小金井市•国分寺市の塚 (4)
東村山市•東大和市の塚 (9)
武蔵村山市•瑞穂町の塚 (17)
川崎市の古墳・塚 (47)
横浜市の古墳・塚 (0)
相模原市の古墳・塚 (7)
栃木県の古墳 (13)
那須町•大田原市•那珂川町 (8)
壬生町•上三川町 (5)
長野県の古墳 (6)
群馬県の古墳 (8)
茨城県の古墳 (5)
埼玉県の古墳 (2)
千葉県の古墳 (1)
未分類 (9)

最新記事

最新コメント

検索フォーム

リンク

このブログをリンクに追加する

QRコード

QR