
画像は、足立区島根4丁目にある「鷲神社(わしじんじゃ)」です。
この神社の祭神は日本武尊、誉田別命、国常立命で、末社に三峰社、客殿等があります。古代に、日本武尊が海岸線の近くにあったこの場所に着いたことから浮島明神として祭祀し、文保2年(1318)に武蔵国足立郡島根村の鎮守として中興され、大鷲神社と唱えたといわれています。昭和31年9月に氏子中の寄進により社殿が再建され、境内の整備も行われています。
祭礼時に神楽殿で奉納される島根ばやしが昭和57年12月に、島根神代神楽が同63年11月に足立区の登録無形文化在西呈されています。また、千住四丁目の石工、保永助七の手による享和2年(1802)在銘の明神型石像鳥居は、昭和60年11月に足立区の登録有形文化財(建造物)に指定されています。
そして、境内には「島根富士」と呼ばれる富士塚が現存します。

画像が鷲神社境内に所在する「島根富士」です。
この富士塚について、塚の前に建てられている富士塚碑には次のように書かれていました。
富士塚
富士は日本一の山 日本人の心の古里である。
今でこそ登山が日常化してはいるが昭和の初め白装に身を固め「六根清浄」を唱えた乍ら 信仰の山 最高の修行の道場としてあがめられていた富士山 当時の神國日本の尊い山であった。
島根の若者が「十三夜同行」として先達富岡小三郎氏に引率されて 何人もの人が島根富士講から出発している 村ではその帰着に合せて牛車に万燈を仕立て島根ばやしのおはやし入で村中の人が迎えに出た 千住大川町の氷川神社まで往きは子供達が大勢乗り込んで帰りは「六根から来る一切の迷いを断ち切って心身清らかに」なった島根の若者が行者姿も凛しく仕立の牛車に乗せて鷲神社迠帰った 富士塚に無事帰着の報告祭を行った 登山で日焼した若者達がまるで修行を積んだ聖人の様に私達子供の目にうつった。
先達の富岡氏が鷲神社に残してくれた神社の富士塚も幾星霜経て破損がひどく この際復元した方が良かろうと云ふ事になり 七月一日浅間祭までに工事を完了するべく地元有志の献身的な奉仕を頂き 此々に完成に至る。
昭和六十三年七月一日
氏子中
山頂に祀られている祠のようす。
この富士塚もどうやら古墳とは関係ないようです。。。
<参考文献>
現地説明版
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- 2017/11/15(水) 00:55:54|
- 足立区/その他の古墳・塚
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