
画像は、八王子市館町の「龍見寺」を南東から見たところです。曹洞宗に属するこのお寺の裏山は、八王子市の遺跡番号997番の「館町龍見寺裏山地区遺跡」として登録されています。
この裏山の尾根上からは、平成5年1993に行われた学術調査により、経塚の埋経施設が確認されています。遺構は、1.6×1.2mの不正楕円形の土坑の中に礫で組んだ小石室があり、この空間に銅製経筒が納められて、更に礫が円錐状に積み上げられていたようです。石室内に納められていたのは銅板打物製の経筒で、高さ17.5cm前後、直径10cm内外の円筒で、経筒内には10巻の経典が納められていたと推測されています。この経塚は、経筒の製作技法から12世紀代のものと考えられています。

画像が、この龍見寺経塚の所在地周辺のようすです。塚の所在地は、今も農地が広がる台地の縁辺部の林の中にあたり、これをグーグルマップで確認していたので塚は間違いなく残存すると信じ込んで訪れてしまったのですが、後に調べてみたところでは、発掘調査により経塚の埋納施設が偶然に発見されたという状況で、どうやらすでにマウンドは消滅してしまっているようです。
農作業をしていた地元の方にお聞きしたところでは、農道が二股に分かれた間の材木が積み上がっているあたりで10年以上前に石の遺構を調査していたということなので、経塚の所在地は画像の周辺で間違いないと思われます。

龍見寺の境内には、やはり銅製経筒が出土したとされる伝承地がもう1箇所存在します。この塚は現在は湧水池の中島として残されており、塚上には祠が祀られています。出土品とされる遺物は、蓋や底板が失われた銅製の経筒が3点と収納されていた光明真言の版本で、いずれも龍見寺に所蔵されており、やはり12世紀代のものと考えられているようです。

裏山発見の経塚や、経筒の湧水池中島出土の伝承から、この龍見寺の境域が、12世紀代には経塚を造営するにふさわしい聖地であったことは確実で、慶長3年1598とされる龍見寺の開山の寺伝が大きく遡る可能性や、前身寺院の存在も考えられているようです。
<参考文献>
八王子市市史編集委員会『新八王子市史 資料編1 原始・古代』
八王子市史編さん委員会『八王子市史 下巻』
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- 2017/11/21(火) 23:31:45|
- 八王子市の古墳・塚
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