古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

「古明神塚(?)」

「古明神塚(?)」

 画像は、八王子市山田の広園寺(兜率山伝法院廣園寺)を南から見たところです。この広園寺は、康応2年(1390)に創建されたとされる臨済宗南禅寺派の寺院で、「広園寺境域」が東京都の史跡に、また「広園寺総門・山門・仏殿・鐘楼」が東京都の有形文化財(建造物)に指定されています。

 このお寺の境内には、古墳ではないかとも考えられる塚が現存します。『東京都遺跡地図』には、この一帯が「平塚遺跡」として登録されているようですが、この塚の記載はなく、無名の塚であるようです。この塚から北東に数十メートルと近接する地点には、前回紹介した「平塚遺跡」の、弥生時代から古墳時代初頭のものと考えられる円形の周溝が5基、検出されています。この塚は果たして古墳ではないのでしょうか。


「古明神塚(?)」

 画像が、広園寺境内に所在する塚を北から見たところです。広園寺境内の一般の立ち入りが禁止とされている区域に存在するため、間近で見学することはできないようですが、敷地の外から塀越しに塚を見学することができます。
 古くは江戸時代の地誌類に記述が見られ、『武蔵名勝図会』には「高宰明神」の項に「散田村にあり。館村の隣邑にて、北に続けり。神体、衣冠の坐像。別当、村内真覚寺。例祭九月廿九日。散田村産土神とす。祭人不詳。土人伝云。往者ここへ殿上人の流落し来たりて浙去せしを、始めは杉山峠へ埋葬せしを如何なるゆえにや、山田広園寺開山、寺境内の鎮守八幡社地へ移し祀りて小蔵主の祠と号しける。その後年経て当所へ移し祀れるところをいま土人称して古明神塚と云。」と書かれています。
 この武蔵名勝図会の記述からすると、古明神塚とは現在の八王子市散田町5丁目に所在する「高宰神社」を指すのではないかとも考えられるのですが、八王子市の郷土史研究家である村下要助氏は著作『生きている八王子地方の歴史』の中で、「この古明神塚と想える塚は、広園寺鬼門裏手杉山の中に径十六メートルくらい、高さ二・七メートルくらいの陵墓形態に取った円墳がある。この塚がもとで、いつの頃からか小字平塚原とついたのではないだろうか。また、この塚は雲津院の廃寺跡西側に一段と盛上がっているところから、広園寺開基毛利師親室、雲津院殿の葬地とみて考えたのであるが、鎌倉時代はもとより、後世、寺など開基した者に陵墓形作った墓はない。雲津院墓は敷地西北端の立派な宝篋印塔にみるべきであろう。また 、この塚とするならば石塔なり立っていても不思議ではないのではないか。そこらを考えて、この円墳は雲津院の物ではないと決めたい。」と、広園寺所在のこの塚が古明神塚であり、さらにこの塚は長慶天皇の墓で天皇陵であるというかなり大胆な仮説を立てているようです。

 そしてその後、平成10年(1998)には、塚の築造時期や性格等の解明のための発掘調査が行われています。この調査によると、塚は旧地表面上に掘り上げた土をブロック状に突き固めながら構築されており、塚の中腹に平坦部が認められることから二段構造の塚であったことが推定されています。少なくとも人工的に造られた塚であることは間違いないようですが、調査範囲が限られていたことから塚の性格や築造時期は不明であるようです。


「古明神塚(?)」

 画像は、八王子市散田町5丁目の「高宰神社」です。
 私は、なんとなくお参りした後に、境内を見渡して古墳や塚らしき遺構が存在しないのを確認して、ぼんやりと帰って来てしまったのですが、撮影した写真を帰宅後に確認してみると、お隣の真覚寺に設置されている八王子市教育委員会による説明板にこの高宰神社について「元は広園寺境内にあって、室町時代南北朝に大納言信房卿が京都より亡命してきて亡くなり、神にまつられたといわれている。江戸時代のはじめに真覚寺境内の丘の上に移して高宰神社と改称し、寛政年間に現在地に移したとある。(後略)」と書かれていることに気がつきました。つまり、「古明神塚」が残存するならば真覚寺境内の丘の上!ということになるのかもしれないのですが、これはまったく見落としてしまいました。


「古明神塚(?)」

 真覚寺は、「蛙合戦の旧地」として八王子市の旧跡として指定されています。
 境内には、八王子市教育委員会による説明板が設置されていました。。。

<参考文献>
八王子市史編さん委員会『八王子市史 下巻』
村下要助『生きている八王子地方の歴史』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
兜率山 廣園寺『東京都指定史跡 広園寺境域保存管理計画書』


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  1. 2017/11/27(月) 23:30:37|
  2. 八王子市
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
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コメント

ひでりんさん、記事のアップありがとうございます。興味深く読ませていただきました。「古明神塚」には謎がいくつも隠されているような感じもしていますね。
この塚の存在も言い伝えも全く知らなかったため、記事を拝読しつつ地図と航空写真を見ると、真覚寺のエリア、とくに隣接の「万葉公園」が気になり、週末ちらっとだけ見てきました。時間がなく公園にしか寄れなかったのですが(紅葉が綺麗でした)、殆ど小山と言える地形で驚きました。昭和46年に開園される前はここも真覚寺境内の山の一部だったそうで、他に何かわからないかな?と図書館で探したところ、この地域の郷土史「土地っ子が綴る散田の歴史」(小浦泰晴著、揺籃社刊)を見つけました。目をひく箇所がいくつかありましたので、ご参考までに。
高宰明神は「散田村開発記」によると最初広園寺境内にあり「古座主(おくらぬし)明神」と呼ばれていたそうです。この名前から、私は元々存在する古墳(この記事でご紹介の塚)に、追っ手から隠すため仮の埋葬地として貴人を合葬し、さらに古の被葬者への畏怖をも込めて付けられたように連想されるのですが、どうでしょうか?
その後はひでりんさんのご紹介の通り、「明神山」と呼ばれていた後散田の八幡というところを経て今の場所に移されたそうで、調べてみましたら万葉公園の中に地図にもない小さな「八幡神社」がありその辺りを指すようです(歌碑がある所みたいで、気づかず素通りしてしまいました、ごめんなさい)。さらに寺の付近には、南朝の貴人の隠れた「徳久利(とっくり)穴」という不思議な穴(こちらは「新編武蔵風土記稿」にも記載があるそうです)があったそうで、何だか横穴墓を連想させますね。。
また同じエリア内の「大室神社」も祭神不詳で高宰明神の室と言い伝えがあるそうですが、ここは真覚寺エリアに巨大古墳があったなら、その陪塚を秘かに転用した可能性はないのかな、、と想像してしまいました。
改めてみると、この辺りは広範囲で遺跡が点在していますね!この広園寺の塚は、まさに円墳そのものに見えるし、平塚遺跡からの距離からすると古墳の可能性が高いと思うのですが、現状の調査ではそれ以上のことはわからないのでしょうかね。。
長くなってすみません。先の本の著者小浦氏は散田地区に生まれ育った方だそうで、本は平成26年に加筆して発刊されたもののようです。当時の散田村のことが地元の方ならではの視点で書かれていて興味深いです(お読みになってたらすみません)
  1. 2017/12/03(日) 23:44:35 |
  2. URL |
  3. ruru #-
  4. [ 編集 ]

ruruさま、こんばんは!

万葉公園に行かれたのですね!
ネットで調べてみると、高宰神社の跡地かもしれない塚状のマウンドの写真を掲載しているようなブログも存在しているようなので、気にはなっていたのですが、なかなか時間を造ることが出来ずにモヤモヤしていました。

「土地っ子が綴る散田の歴史」は、熟読まではいかないものの、実は読みました。記事にあった「徳久利(とっくり)穴」は確かに横穴墓を連想させる気になる存在です。実は真覚寺ではなく、広園寺の境内の虫塚の石碑の近くの斜面にも、まるで横穴墓かのような横穴が開口しており、ひょっとしたら徳久利穴と何か関係があるのだろうかと気になっていました。この場所は一般の立ち入り禁止区域で近くで見学することはできないのですが、もしこれが横穴墓であればいくら何でもまったく無名のわけはないし、不思議な横穴です。広園寺でお聞きしたところでは何か理由があって掘られたもののようなのですが、真相を知るところまでは至らず、また記述のある文献にも出会うことができず、不明のままだったりもします。

私はこの古明神塚は、「平塚遺跡」から検出された5基の古墳と群をなす古墳だったのではないかと考えています。高宰神社が広園寺境内に祀られていた場所とはまさにこの塚の上であり、神社が祀られたことによりこの古墳は壊されずに残されて、その存在が「平塚」の地名の由来となったのではないか、とも考えてしています。
神社の社殿が建てられて墳丘が削られたことにより、粘土槨であった埋葬施設は消滅、現在の塚は後世に盛土が行われて改変されているのではないかと考えますが、真相はわかりません。

私が図書館で見た「土地っ子が綴る散田の歴史」は、加筆されたものではなく古い本だったようにも思うので、もう一度図書館を訪れて読んでみようと思います。色々とご指摘ありがとうございます。

八王子市の古墳を求めてぶらぶらと散策していて感じたのですが。八王子市内の古墳もそのほとんどが河川沿いの段丘上縁辺部に築造されているようですが、作り手はなるべく逆光になる場所は避けたかったのではないかと、つまり太陽を背にして見栄えのする場所に造りたかったのかもしれないなあと思うのです。
八王子市内の河川は多くは西から東に流れているパターンが多いので、古墳の所在地は自然に川の左岸に集まってきます。「平塚遺跡」の5基の古墳も南を流れる山田川に面していますし、「八王子市№1013遺跡」もやはり南を流れる湯殿川に向かっていますよね。従って、南浅川の右岸にあたる散田の周辺には、少なくとも古墳が存在したとしてもそれほど多くはなかったのではないかと思ってしまうのです。
いや、学術的な裏付けはまったくなく、素人が歩いてみたところでの、本当にただの勘で申し訳ないのですが。。。
  1. 2017/12/06(水) 01:26:15 |
  2. URL |
  3. ご〜ご〜ひでりん #OsZoF7Es
  4. [ 編集 ]

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