古墳なう

ご〜ご〜ひでりんの古墳探訪記

「布田九塚 その2」

「椿稲荷(小山稲荷)」

 前回に続き、今回は『布田九塚 その2』と題して、広範囲に分布したと考えられる布田九塚のうち、下布田古墳群の範囲内に存在したと思われる塚の推定地を探っていきたいと思います。手がかりは、地元の郷土史家である石森直吉氏により書かれたという塚の所在地を記した手書きの地図とわずかな文献のみですが、おおよその位置を推定出来る塚も存在します。

 画像は、調布市布田6丁目41番地付近に所在する「椿稲荷(小山稲荷)」を北東から見たところです。品川道沿いの「椿地蔵前」交差点の南西角にあり、享保二十年(1735)造立の地蔵尊が一体安置されています。敷地内に「シロハナヤブツバキ」という自然状態ではまれに見られる珍しいツバキがあることが「椿地蔵」の名称の由来となっているというお地蔵様です。
 布田九塚の地図には、円形の塚のマークの中にお地蔵様が描かれていますので、かつてはこの地蔵は塚上に祀られていたようです。ただし、この地蔵とツバキは品川道の拡張工事の際に、現位置よりも北に約5メートルの位置から移されているようですので、この場所に古墳が存在したとすれば、現在は品川街道のアスファルトの下(画像右側の横断歩道のあたり?)に埋没しているのかもしれません。


「椿稲荷(小山稲荷)」

 画像は、椿地蔵を正面(北)から見たところです。敷地内がうっすらと盛り上がっているようにも見えるのが気になるところです。。。


「椿稲荷(小山稲荷)」

 画像は、椿地蔵の敷地内のようすです。敷地内に保存されている樹齢約700年と推定されるシロハナヤブツバキは、昭和41年(1966)4月1日に調布市の天然記念物(植物)に指定されています。かつては五幹に分かれ、高さは約5メートル、東西7メートル、南北8メートルにわたって茂っていたようですが、平成2年頃に樹勢が衰え、回復に努めたものの、現在残っているのは、枝分れの一本とひこばえです。平成23年にも樹勢回復作業を行っているようです。


「山口稲荷」

 布田九塚の地図には、品川道の北側に「旧ツカ」の名称で、三角のマークの小塚が描かれています。現在の品川道のあたりからは、近年の発掘調査により「下布田16号墳」が確認されており、小塚は16号墳である可能性も考えられますが、地図で上では品川道から少し離れた位置に塚が描かれていることから、画像の「山口稲荷」のあたりが小塚の推定地ではないかと考えました。
 この塚に関しては位置を特定するための情報がなく、根拠はありません。周辺を歩いてみた感覚で、このあたりかなあという感じです。山口稲荷周辺に塚の痕跡は残されていないようです。


「狐塚(下布田6号墳)」

 画像は「狐塚(下布田6号墳)」を北西から見たところです。この古墳は、『古墳なう』の2015年12月15日の回でも一度取り上げていますが、「布田九塚」において唯一残存する古墳で、発掘調査ののちに「歴史の広場」として整備、公開されています。平成26年(2014)3月14日には、「下布田6号墳(狐塚古墳)及び出土品」が、調布市指定記念物(史跡) として登録されています。


「釈迦塚」

 「釈迦塚」は、この塚が古墳であれば「下布田古墳群」に属する古墳であると思われ、この地域で一番大きな塚であったともいわれています。
 この周辺の古墳については明治時代に井上喜久治氏が報告しており、明治26年発刊の『東京人類学会雑誌 第93号』に掲載されている「玉川沿岸遺跡探検の記」には「(前略)翌十四日案内者を雇ひ再ひ玉川沿岸に至て古墳の二三ヶ處に散在しあるを見る何れも皆土饅頭にして石槨の顯れたるものなし此處は總て調布村の内にして右二三個の内釋迦塚と云云るは大なるものにして先年發掘の際石槨顯れたるも今は舊に復して其形狀を見る能はず(後略)」とあり、なんとこの当時23基もの古墳と考えられる塚が残されていたことが記載されています。また、「狐塚の西方」に所在したとされる釈迦塚は、付近に埴輪の破片が散布しており、面積260平方メートル、高さ3.6メートルの円墳であったされています。この釈迦塚の所在地について、調布市郷土史料保存会より発行された『調布のあゆみ』では「今の布田6–27~28」としています。画像はこの釈迦塚の跡地周辺を南西から見たところです。
 下布田古墳群は、まだ発掘が行われていない空白地帯があり、釈迦塚についても学術的な調査は行われていないために詳細は不明ですが、「埴輪の破片が散布していた」という記述からしてこの釈迦塚が古墳であった可能性はかなり高いのかもしれません。ちなみにこの推定地の西側では、比較的大形の円墳である「下布田17号墳」が確認されています。果たしてこの17号墳が釈迦塚であったのか、未調査の区画から今後釈迦塚が確認されるのか、調査の進展が楽しみな古墳です。


「釈迦塚」

「釈迦塚」

 画像は、調布市布田2丁目の蓮慶寺に安置されている「釈迦如来座像」を南から見たところです。このお釈迦さまは元々は釈迦塚の近くに祀ってあったといわれており、塚の名もそこから付けられたそうです。お釈迦さまは、明治以降から流浪の旅をすることとなり、昭和38年から八雲小学校北裏の荒井茶舗に置かれた後、現在では蓮慶寺に移されて大切に保護されています。


「下布田7号墳」

 布田九塚の手書きの地図には釈迦塚と狐塚の間に小さな塚が描かれていますが、これは発掘調査により確認されている「下布田7号墳」である可能性が高いように思います。明治初年の地租改正の際に作成された『地籍図』には、下布田7号墳ではないかと考えられる不規則に小さな区画が存在しており、地籍図が作成された時点では古墳の墳丘の高まりが残されていたのではないかと想定されている古墳です。戦後の空中写真でもわずかに7号墳の墳丘らしき影を確認することができます。この古墳は、外径22m、内径15.2mの円墳であることがわかっています。


布田九塚2-10

 布田九塚の手書きの地図を参考にすると、狐塚の南東に「サイド」と書かれた塚と、南西に「旧ツカ」と書かれた、それぞれ三角マークの小塚が描かれています。また釈迦塚の南西方向に1基、「ツカ」と書かれた丸いマークの大きな塚が描かれています。狐塚の南西と南東に描かれている2基の小塚は、発掘調査により確認されている「下布田3号墳」と「同5号墳」ではないかと考えるのが妥当ではないでしょうか。この下布田地区一帯は、第二次世界大戦中の高射第一1師団高射砲第112連隊第14中隊の矢ケ崎照空隊陣地が設営された場所であったといわれており、この照空灯は、当時残存していた3号墳と5号墳の墳丘を流用して設置されていたといわれています。そして、昭和初期の空中写真で2基の古墳の墳丘らしき影を確認することができます。
 また、釈迦塚の南西方向の大塚は、調布市郷土博物館分室の西側に現存する塚と考えるのが妥当ではないでしょうか。この塚は、近年行われた発掘調査により性格は判明していないという正体不明の塚ですが、現在もマウンドが残存するこの塚は当然昭和初期にも存在したはずです。ただし、この正体不明の塚は、内径31.8mの円墳である「下布田3号墳」や内径約17mほどの円墳であるとされる「下布田5号墳」と比較するとかなり小さな塚であり、釈迦塚の南西の「ツカ」が丸い大塚のマークで書かれていることからすると、未発掘の地域に狐塚や釈迦塚と同程度の未知なる古墳が存在した可能性も考えられるかもしれません。

 以下、次回の「布田九塚 その3」へ続く…

<参考文献>
井上喜久治「玉川沿岸遺跡探検の記」『東京人類学会雑誌 第93号』
石森直吉『たづくりを巡りて』
調布市市史編集委員会『調布市史 上巻』
多摩中央信用金庫『多摩のあゆみ 第52号』
調布市郷土博物館『下布田古墳群の調査』
企画調整部広報課『調布こぼれ話』
調布ブッククラブ『調布の民話集』


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  1. 2017/04/26(水) 01:53:47|
  2. その他の古墳・塚
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コメント

手書きの地図のような資料でも、残っていること自体、有難いことだと感じます。
いつも思うことですが、本当に昔の日本はあちこちが塚や古墳だらけだったようですね。
分室西側の塚は「大塚」という雰囲気ではないようなので、周辺にもっと大きな塚があったのかと思うと興味深いです。
毎回興味深いブログ、今後も期待しております。
  1. 2017/05/02(火) 07:34:14 |
  2. URL |
  3. michikusa520 #-
  4. [ 編集 ]

michikusa520さま、こんばんは。

東京都内は、都市化により塚や古墳が消滅しているようですが、実際には他県と同じようにかなりの数の古墳が存在したようですよね。
どの地域にも、地元の歴史に興味を持って記録を残したり、遺物を収集したりする一般の人の存在があり、今となっては貴重な情報源になります。。。
  1. 2017/05/05(金) 23:35:43 |
  2. URL |
  3. ご〜ご〜ひでりん #OsZoF7Es
  4. [ 編集 ]

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 調布市の郷土研究家、故石森直吉の手記『たづくりを巡りて』には、この調布市布田周辺の墳丘が削平され
  1. 2012/11/29(木) 12:16:46 |
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