
画像は、世田谷区大蔵3丁目の大蔵団地内に所在する「石井土塚」を北西から見たところです。
この塚は、『東京都遺跡地図』では世田谷区の遺跡番号245番の「時代不明の塚」としながらも「方墳』とも書かれています。また、昭和63年(1988)に東京都教育委員会より発行された『東京都遺跡地図』には「石井戸塚」の名称で掲載されているようですが、最新の『東京都遺跡地図情報インターネット提供サービス』では「石井土塚」という名称で掲載されています。ちなみにこの地域は、町名にはなっていないものの「石井戸」(石井と井戸をかけて石井戸)という地名で呼ばれており、また石井戸は「石井土」とも書かれているようなので、どちらが正しい塚の名称なのかは何ともいえません。学術的な調査の記録は見当らず、発掘調査は行われていないようですので、塚の性格や出土品の存在などの詳細もわかりませんでした。

塚は石垣により方形に改変されており、この形状からは方墳であるようにも見うけられますが、南側に残されている塚の残土のようすからは、円形の塚であった可能性も考えられるのかもしれません。
『大蔵 世田谷区民俗調査第7次報告』にはこの塚について「塚の祭り 大蔵団地の中の妙法寺領のところに塚があり、そこに妙法寺住職の玉田顯壽氏が大正7年2月9日に「石井神社舊地」と刻んだ石碑を建立した。一昨年よりその祭りを行うようになり、その際には経を唱え、子供達に甘酒を配り、石井戸囃子を奏じた。以後、何年か間隔をあけて行う予定だという。」とのみ書かれており、塚の性格についてはふれられていません。
この塚の周辺には「砧中学校古墳群」や「殿山古墳群」、「大蔵古墳群」などが所在しており、またこの塚の築造された立地的に考えても、この塚は古墳ではないのかなと考えてしまいますが、古墳であるある可能性はないのでしょうか。。。

墳丘上のようすです。『東京都遺跡地図』には塚の規模について「径5m、高さ1.5m」と書かれています。
画像は4~5年前のものですが、塚は今も健在であるようです。。。
<参考文献>
世田谷区教育委員会・世田谷区民俗調査団『大蔵 世田谷区民俗調査第7次報告』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
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- 2017/12/20(水) 22:56:43|
- 世田谷区/その他の古墳・塚
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ここにはかつて石井家の守り神として稲荷神社が祀れれていました。「いしいと」の字名は、石井家の治めていた所という意味です。日本語にはもともと字がなかったので〉読みに漢字をあてたので、標記がいちようではありません。言葉遊びの大好きな日本人は、訓読みを音読みに替えて新しい地名を想像しています。その逆もあります。さてこのお稲荷さんは、現在大蔵大仏妙法寺に遷され、大切に祀られています。ちなみに高井戸も高井家の所の意味です。
- 2020/01/23(木) 15:40:16 |
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- 竹山博彦 #-
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竹山博彦様
こんばんは。返信が遅れまして申し訳ありません。
そうだったのですね。
「いしいと」は、「石井戸」という記述も見かけたように記憶していますが、この塚の名称は「石井土塚」ですし、面白いです。
お稲荷さんは、妙法寺に移されていたのですね。見落としていました。この塚は、立地的に古墳を流用した塚である可能性が高いのではないかと睨んでいましたが、真相はよくわかりませんでした。。。
- 2020/02/07(金) 02:13:08 |
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- ご〜ご〜ひでりん #G67hs.TE
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