
世田谷区岡本2丁目の、静嘉堂文庫の敷地内に所在するのが「弁天塚・天神塚」という2基の塚です。
『東京都遺跡地図』には、世田谷区の遺跡番号199番の”時代不明の塚”として登録されており、画像はこの2基の塚を北西から見たところです。
この塚に関しては詳しい記載のある文献は見つからず、詳細がわかりません。発掘調査が行われたという記録もなく、弁天塚と天神塚というからには塚上に弁天様や天神様が祀られているのかな?という想像は出来るものの、実際に現地を訪れてみても、塚上は樹木が生い茂っていてようすをうかがうことはできませんでした。
塚は、静嘉堂文庫敷地内の噴水池の前、岩崎家霊堂の北西側に築山となって残されているのですが、静嘉堂文庫でお聞きしたところでは、この築山は古墳ではないかと考えられてはいるものの特に遺物の出土等の伝承もなく、「弁天塚」、「天神塚」という名称の存在も把握していなかったということです。したがって、左右に並ぶ2基のマウンドのどちらが弁天塚で、どちらが天神塚であるのかもわかりませんでした。

画像は南西側のマウンドです。以外と高さが残されているのがわかります。
世田谷区の学芸員の先生にお聞きしたところでは、この2基の塚は古墳ではないかと考えており、さらに、元々は1基の前方後円墳だったのはないかという可能性も指摘されておられました。確かに現地で観察すると2基の塚は繋がっているようにも見えますが、築山としてかなり改変されているため、真相はわかりません。

画像は北東側のマウンドです。
塚上には「せたがや百景」の石碑が設置されており、「73 岡本静嘉堂文庫 静嘉堂文庫は、岩崎弥太郎・小弥太父子2代によって集められた和漢の古典籍と古美術品とを集蔵し、大正13年建築の文庫と平成4年竣工の美術館とから成る。多摩川を望む丘陵の上に立ち、深い樹林に包まれて四季おりおりの景観に恵まれている。」と、塚ではなく静嘉堂文庫について記されています。
現地でその形状を観察した印象や立地的に考えても、やはり前方後円墳なのではないかと期待したい塚ですが、いずれは行われるであろう発掘調査を待つよりほかに詳細を知る術はないようです。。。
<参考文献>
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
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- 2017/12/21(木) 23:29:09|
- 世田谷区/砧古墳群その他
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