
「スクモ塚(西岡6号)」は、世田谷区野毛3丁目に所在したとされる古墳です。『東京都遺跡地図』には世田谷区の遺跡番号128番の古墳(円墳)として登録されています。
江戸時代の地誌、『新編武蔵風土記稿』には「字小金沢ニアリ。大塚ヨリハ北ノ方ナリ。是モソノ故ヲ詳ニセズ。」と記載されており、この古墳は江戸時代にはすでに知られていたようです。
その後、1930年代には当時大田区立郷土博物館の館長を努める西岡秀雄氏により荏原台古墳群の分布調査が行われており、当時の記録によるとこのスクモ塚は「西岡6号墳」の名称で次のように紹介されています。
第六號古墳(俗稱)『狐塚』
(所在位置)舊地名 東京都荏原郡玉川村大字下野毛字大原
新地名 東京市世田谷區玉川野毛町渡邊熊次郎氏所有地
(型式) 圓型墳
(現況其の他) 畑中にあり封土の周圍多少崩壊し、土器片の露出散落を見るも未發掘のものである。貝殻が表面にあつたとも云ふ。高さ約二米。
(『考古学雑誌 第26巻 第5号』309~310ページ)
その後、この古墳の正確な跡地はわからなくなっていたようですが、平成23年(2011)5月~6月にかけて行われた発掘調査により周溝が検出され、正確な古墳の跡地が確認されています。周溝外周径は約34m、墳丘径は約20mと推定されており、埴輪片の他、土師器、須恵器、縄文土器、石器などが出土しています。
画像は、野毛古墳まつりで公開されていた、発掘調査により出土したスクモ塚古墳の埴輪片です。古墳の築造は、6世紀後半と考えられているようです。

発掘調査報告書と照らし合わせてみて、じゃあこの地点は古墳の残存部分ではないのか!と独りで気持ちを高ぶらせた場所がこの謎の三角地帯です。(笑)。いや、あくまで墳丘は削平されて存在しないわけなのですが、この場所にも墳丘がかかっていたと思われますので、一応「跡地」ということで。。。
<参考文献>
西岡秀雄「荏原台地に於ける先史及び原始時代の遺跡遺物」『考古学雑誌 第26巻 第5号』
東京都教育委員会『都心部の遺跡』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
世田谷区教育委員会『2011年度 世田谷区埋蔵文化財調査年報』
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- 2017/12/27(水) 20:29:54|
- 世田谷区/野毛古墳群
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