
狛江市は、古くから多くの古墳が存在することで知られており、俚伝などによると、和泉、猪方、岩戸の各地区を中心に200基以上にのぼるともいわれてきました。古くは、鳥居龍蔵氏の「武蔵野会」にも属していたという、地元在住の郷土史家である石井正義氏が狛江町に分布する古墳の調査を進め、『狛江百塚の記』を著しています。その後、子息の石井千城氏が補訂して冊子『狛江百塚』にまとめられており、同書に掲載された古墳の数は77基を数え、狛江古墳群を知る最初の手がかりとなっています。
その後、昭和35年(1960)には狛江町全域の古墳分布調査が行われ、18基の古墳が現存を確認されるとともに、この時期に作成された「狛江古墳群地名表」には137基の古墳が掲載されています。そして、さらに昭和51年(1976)には狛江市内全域の古墳と遺跡の分布調査が狛江市教育委員会により取り組まれ、『狛江市の古墳(Ⅰ)』にまとめられています。
画像は「小町塚」の跡地と考えられる周辺のようすです。昭和35年(1960)作成の「狛江古墳群地名表」には11番の番号で、「台地西側縁辺」に所在する「円墳」として掲載されており、「宅地により平夷」とあることから、当時すでに消滅していたと考えられる古墳です。地名表にある地番を古地図に当てはめて確認したのが画像の地点であり、また古地図にはこの場所に「小町」さんという個人宅が記されていることから、土地所有者の姓が古墳の名称に用いられたのではないかと考えられます。
かつてはこの場所に古墳の可能性のあるマウンドが存在したと考えられますが、現在は集合住宅が建てられており、それらしき痕跡を見ることは出来ないようです。。。
<参考文献>
狛江市『狛江市史』
狛江市教育委員会『狛江市の古墳(Ⅰ)』
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- 2018/01/16(火) 23:41:16|
- 狛江市/狛江古墳群(和泉)
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