
「上布田3号墳(飯盛塚)」は調布市布田5丁目に所在したとされる古墳です。すでに墳丘は削平されて消滅しているものの、『東京都遺跡地図』には調布市の遺跡番号53-5番の古墳として登録されています。
この古墳は、嘉永5年(1628)の上布田村の絵図に描かれており、古墳と想定されています。学術的な調査は行われていないため正確な跡地は不明で、周溝や埋葬施設等の詳細もわからないようです。調布市の郷土研究家、故石森直吉の手記『たづくりを巡りて』には、この調布市布田周辺の墳丘が削平されて失われた古墳(塚)について書かれていますが、品川道の南側の崖線付近に存在した「布田九塚」と呼ばれていた塚の中には、この飯盛塚も含まれていたようです。ひょっとしたら戦前頃までは痕跡が残されていたのかもしれません。周辺地域の発掘調査報告書や東京都遺跡地図等の古墳分布図からすると、古墳は宅地化された民家の敷地内にあたるため、勝手に侵入することはできませんが、路上から、 邸宅内に祀られている屋敷稲荷がみられます。古墳と関係のある祠なのかもしれませんが、こちらも詳細はわかりませんでした。
かつてはこの周辺には雑木が生えていて、松の木もあったそうです。塚にはよくイモリがたくさん上がってきたので、それで「イモリ塚」と呼ばれたのだという言い伝えが残されているそうです。また墳丘が飯を盛り上げたような形をしていて、それで「飯盛塚」と呼ばれたという言い伝えも残されているようです。
こうした、言い伝えの残された塚が開発により消えてしまうことは残念です。。。
<参考文献>
調布市市史編集委員会『調布市史 上巻』
調布市郷土博物館『下布田古墳群の調査』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
調布市立図書館『子供のための調布のむかしばなし』
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- 2017/03/23(木) 23:20:03|
- 調布市/上布田古墳群
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