
「猪方673番地古墳」は、狛江市猪方1丁目に所在したとされる古墳です。
この古墳は、昭和35年(1960)に当時の狛江町全域で行われた古墳の分布調査時に把握されており、『狛江市の古墳(Ⅰ)』に掲載されている「狛江古墳群地名表」には、100番の名称のない古墳として取り上げらています。同書によると、当時の古墳は林地に残存するとされ、「径11m 高さ1~1.2m 台地東北縁辺に近い地」と記されています。昭和35年当時は、まだ猪方673番地古墳は残されていたようです。
その後、昭和51年(1976)に行われた古墳分布調査による資料では、古墳は消滅扱いとなり、「現存していないが、その存在が確認できる古墳」として取り上げられています。その後、平成7年(1995)に多摩地区所在古墳確認調査団により発行された『多摩地区所在古墳確認調査報告書』には、この古墳は取り上げられず、『東京都遺跡地図』にも未登録となっているようです。
画像は、「猪方673番地古墳」の跡地周辺のようすです。
ちょうど画像中央の、道路が左に折れ曲がった右側あたりが猪方673番地古墳の推定地ではないかと思われますが、残念ながら特に古墳の痕跡は見当らないようです。
出典:国土地理院ウェブサイト(http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=193508&isDetail=true)
出
典:国土地理院ウェブサイト(http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=430101&isDetail=true) 画像は、国土地理院ウェブサイトより公開されている、猪方673番地古墳周辺の空中写真です。1枚目は、昭和23年(1948)03月29日に米軍により撮影されたもので、2枚目は、昭和38年(1963)6月26日に国土地理院により撮影されたものです。どちらも、わかりやすいように猪方673番地古墳が写真の中央となるように切り取っています。(ちなみに左端に見えるのが「中村石塚」と思われます。)
昭和23年の画像は、古墳の周辺は樹木が生い茂る林となっており、これはほかの昭和20年代の写真を確認しても似たような状況です。しかし、昭和38年の写真では樹木は伐採されたのか、東西にはしる古道が「く」の字に折れ曲がった南側にはっきりと円形の影を見ることが出来ます。もちろん、あくまで古い空中写真で確認するしか手段がなく、この円形の影が絶対に古墳であると断言はできませんが、可能性は高いように思います。
この円形の影が古墳であれば、昭和50年代前半頃までは残されていたのではないかとも考えられるのですが、真相はわかりません。

気になるのが、画像の地点です。
古墳の跡地と推定した地点から北東に20m程の位置にT字路となる交差点があり、この南角に庚申塔が祀られています。画像がこの庚申塔です。
この庚申塔の背後の個人の敷地内に、わずかながら塚状に盛り上がるマウンドが存在します。

実は、土地の所有者の方に許可を得て見学をさせていただきつつ、お話を聞かせていただくことが出来ました。
T字路南角の庚申塔は、かなり古くからこの場所に存在したそうですので、ひょっとするとこのマウンドは庚申塚である可能性も考えられそうです。そして、周囲の道路は舗装する際に砂利が敷かれていることから、農地だった頃よりも若干高くなっているそうですので、つまりはこのマウンドはかつてはもう少し高さがあったということになるようです。そして、このマウンド上には大きな木があったそうですが、これは最近伐採されたということです。そして、土地の所有者の方によると、敷地内に673番地古墳が存在した(する?)という認識もなかったようです。
可能性としては、
① 「く」の字に折れ曲がった円形の影が古墳ではなく、このマウンドが猪方673番地古墳である。
② このマウンドは673番地古墳とは別の古墳で、2基の古墳が近距離に存在する。
③ このマウンドは古墳ではなく、庚申塚である。
④ このマウンドは単なる自然地形で古墳でも塚でもない。
といったところかと考えられますが、今のところ真相は謎のままです。。。
この猪方673番地古墳について現状でわかったことはここまでですが、まだ引き続き調べてみようと思っています。詳細がわかったところで追記します!
<参考文献>
狛江市史編さん委員会『狛江市史』
狛江市教育委員会『狛江市の古墳(Ⅰ)』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
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- 2018/02/02(金) 23:58:06|
- 狛江市/狛江古墳群(猪方)
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