
今回は少々脱線して、群馬県高崎市の「倉賀野古墳群」の見学の記録です。
お休みの日に実家に帰省する際、まっすぐ帰らず何処かに行きたくなってしまって、ちょっと早起きして群馬方面に向かってしまったのですね。実は7〜8年前に一度、群馬県にハマってしまったことがあって、何度も通って古墳を見て回ったのですが、当時の写真は消失してしまってほとんど残っていないのです。なので、午前中に倉賀野古墳群を見て回ってゆっくりと写真を撮ることにして、その後、車をぶっ飛ばして帰省しました。笑。
東京から高崎に向かって旧中山道を西に車で走ると、倉賀野駅を過ぎたあたりの南側に大きな古墳の後円部が見えてきます。これが、高崎市では一番大きな、群馬県内でも太田市の天神山古墳に次ぐ規模を誇る「浅間山古墳」です。
大きな古墳なので、かなり離れないと古墳の全貌を写真に収めることができないのですが、周囲が農地ということもあってばっちりと撮影することが出来ます。そもそもこんなに大きな前方後円墳は東京では絶対に見られないし、ほれぼれしますね。。。

画像のように、古墳北側の路上に「史跡 浅間山古墳」と刻まれた石碑と高崎市教育委員会による説明板が設置されており、その奥に大きな後円部が見えます。この説明板によると、浅間山古墳は1全長71.5mの巨大な前方後円墳で、前方部は二段、後円部は三段の築造で、葺石を持つようです。後円部の直径は105m、高さ14.1m、前方部の長さは66.3m、高さ5.5mで、同じ段丘上には「大山古墳」、「庚申塚古墳」、前方後円墳である「大鶴巻古墳」、「小鶴巻古墳」等の古墳や方形周溝墓が多数築造されていることから、この周辺地域が、古墳出現期から5世紀前半にかけて充実した墓域を形成していたことがわかっています。

後円部を北から見たところです。国の史跡として指定されている巨大前方後円墳でありながら、墳丘が段々畑として耕作されているあたりが、むしろ「スゲエ!」と思えてしまいます。古墳は古くから宝物が埋まっているという伝説があり、掘り起こした人は祟られると言い伝えられているようですが、耕しちゃって大丈夫なのかな。。。
主体部については発掘調査が行われていないことから不明ですが、竪穴系の埋葬施設が築かれていると推定されているようです。また、墳丘の形状や埴輪の特徴から、古墳は4世紀末から5世紀初頭に築造されたと考えられているようです。

人ひとり通れるような道があって、後円部に登ることが出来ます。
「古墳に登ってもいいですか?」、「いいよ?」みたいな会話があったのですが、土地の所有者だったかどうかはよくわからないのです。。。

足元を見ると、葺石と思われる河原石が散乱しています。

墳頂部のようす。草ボウボウです。。。

すぐ横の保育園の築山でさえも前方後円形というレベルの高さ。ぐんま、恐るべし。
次回、「倉賀野古墳群 その2」に続く。。。
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- 2018/02/07(水) 22:23:36|
- 群馬県の古墳・塚
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