
「倉賀野古墳群」の最終回は「安楽寺古墳」です。
実は、倉賀野の古墳を散策している当日、偶然にも倉賀野地区の観光?関係の方と出会いました。この日に初めて出会ったという状況にも関わらず、倉賀野の街を案内したいから車に乗れ!ということになったのですね。今あったばかりの知らない人なのに、ウソ?と思いましたが、悪い人じゃあなさそうだし騙されているというわけでもなさそうなので、(すみません。笑)それじゃあとお世話になってしまいまして、倉賀野各地を案内していただき、解説までしていただきました。私にとってのクライマックスは、故山田かまちさんの生家を訪れたあたりなのですが、それはいずれ機会があったら紹介することにして、その最後に立ち寄ったのがこの安楽寺であり、安楽寺古墳です。

画像が、群馬県の史跡として指定されている「安楽寺古墳」です。
墳丘に食い込むように本殿が建てられていてかなり削られているようですが、古墳はそれでも良好に残されているようです。境内に立てられている高崎市教育委員会による説明板には次のように書かれていました。
群馬県指定史跡
安楽寺古墳
安楽寺古墳は七世紀末頃に築造されたと推定され、径二
〇メートル、高さ四メートルの規模を有する円墳である。
主体部は横口式石槨と呼ばれる形式で、羨道の奥に石棺
が取り付いたような構造をしている。
石室内部の壁面には、鎌倉時代の製作と推定される仏像
が奥壁に三体、左右の壁に二体ずつの計七体彫られてい
る。この仏像は、七仏薬師と呼ばれ安楽寺の本尊となって
おり、通常は秘仏とされているが、十二年に一度巳年に開
帳している。
所 在 地 高崎市倉賀野八六七(安楽寺)
指定年月日 昭和五六年五月六日
設置年月日 平成二五年三月二十二日
高崎市教育委員会
北東から見た、安楽寺古墳の墳丘のようすです。石室は12年に1度だけ開帳されるとのことですが、前回の開帳は平成25年(2013)ということなので、残念ながらしばらくの間は石室を見学できるチャンスはなさそうです。。。

墳頂部のようすです。
右側の石造物の土台の石は石室の石材かな?とも思えますが真相はわかりません。
この日は、午後には実家に帰省しなければならなかったので、見学したのは倉賀野古墳群の6基の古墳のみでしたが、色々と思い出に残る楽しい古墳探訪でした。(ブログで絶対に書くからと言いつつ時間が経過してしまいました。倉賀野遊歩学担当のW様、大変お世話になり感謝しております。楽しい思い出をありがとうございました。)
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- 2018/02/14(水) 21:46:46|
- 群馬県の古墳・塚
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