
画像は、渋谷区東3丁目にある「福昌寺」を南西から見たところです。このお寺の境内には渋谷区の有形文化財に指定されている「阿弥陀石棺仏」が安置されています。

画像が、福昌寺境内に所在する「阿弥陀石棺仏」を南東から見たところです。寺門を入った左手に安置されています。
古墳の石室に収められた石棺(石でつくられたお棺)にはいくつかの種類があり、この中に「家型石棺」があります。故人の住居をまねて造られたといわれていて、石棺の蓋の部分が寄棟造りの家屋の屋根に似ていることからこの名が付けられたそうです。「石棺仏」とは、古墳が造られた時代から数百年たった中世のころ、崩された古墳に葬られていた古代人の霊を慰めるために、石棺の蓋に仏像を刻んだものだといわれています。

現地には、渋谷区教育委員会により立てられた説明板が設置されており、次のように書かれています。
東三丁目10番13号 曹洞宗 渋谷山 福昌寺
区指定有形文化財 平成十九年三月一日
阿弥陀石棺仏
石棺仏とは、古墳時代の石棺を転用して、そこに仏像を
彫り込んで路傍に立て庶民が礼拝の対象としたものです。
本石棺仏は、古墳時代中後期頃の家型石棺の蓋を利用して
おり、その内側は長方形に彫り窪められています。中心部
に表されるのは蓮台上に立つ阿弥陀如来像で、船形光背を
負い、来迎印を結ぶ姿が浮彫りされています。現存する阿
弥陀石棺仏の多くが坐像であり、このような立像は稀な例
になります。
この石棺蓋の材質は、兵庫県高砂市・加西市付近を産地
とする播磨竜山石と考えられます。石棺仏が彫られた時期
は、その像容や年紀を持つほかの作例から見て、南北朝時
代頃と推定されます。現状は石棺蓋の上端部に物が奉置さ
れるような窪みが穿たれていますが、阿弥陀如来像や蓮華
座に破損や摩滅等がほとんど見られず、保存状態は比較的
良好です。
この阿弥陀石棺仏は、和歌山県那賀郡から運ばれて来た
ものと伝えられ、昭和二十五年頃に造園業を営む東光園が
入手して当寺に寄進したもので、東京では本例のみという
珍しいものです。
渋谷区教育委員会
<参考文献>
渋谷区教育委員会『渋谷区史跡散歩地図』
佐藤昇著 株式会社学生社『東京史跡ガイド⑬ 渋谷区史跡散歩』
現地説明版
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- 2016/10/28(金) 01:04:55|
- 渋谷区の古墳・塚
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| コメント:2
「石棺仏」、初耳だと思ってぐぐってみたら、これ自体が播磨など主に関西地方で見られた風習の様ですね。石が播磨のものだとすると、何かの縁があって石棺仏をはるばる渋谷まで贈ったんでしょうかね。
- 2012/12/10(月) 21:02:35 |
- URL |
- kanageohis1964 #-
- [ 編集 ]
返信が送れて申し訳ないです。パソコンの不具合で更新できない日が続いています。
この「石棺仏」は造園業を営む東光園が入手して寄進したのだそうで、和歌山から運ばれてきたと、現地の案内板に書かれていました。
- 2012/12/19(水) 03:13:30 |
- URL |
- #hzwp2T5Q
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